続・浜田節子の記録

書いておくべきことをひたすら書いていく小さなわたしの記録。

若林奮『3.25mのクロバエの羽』

2015-09-04 06:48:56 | 美術ノート
『3.25mのクロバエの羽』

 何かを表現するときには、もちろん対象物が選択される。しかし、なぜクロバエだったのか。
 クロバエは飛行体である。その飛行体の羽を巨大に拡大し平面に置く。すでにこれはクロバエではない。

 クロバエの否定である。飛行している空気感の中にこそ、クロバエとしての証明が現存するのではないか。
 クロバエという証言がなければ、任意の線状、突起の並列にすぎない。クロバエとしての質感に結びつかない硬質の素材はクロバエを想起できない。羽らしき形状は対象ではなく片側に並べられている。
 これはつまり、クロバエの死、残酷にもむしり取られたクロバエの残骸である。


 クロバエの生息は、汚物と密接な関係にあり嫌悪すべき昆虫である。追い払うに相当する気の毒な生命体でもある。
 それを凝視する作家の眼差しは、それを巨大なオブジェへと変身させ、堂々たる形にして地上に収めた。

 クロバエの主張。
《わたしという生命体は、存在として悪なのだろうか》

 汚らしい飛行体という考えは、人間側の論理である。
 小さくも懸命にその運命を生きざるを得なかったクロバエの一生、墓標のアイロニー。

 飛行の叶わない羽を巨大に引き延ばして並べ、俯瞰の形に納めたクロバエの墓標。ブラックユーモアのもの悲しい空気感は、雨風寒暑に曝され作品という枠がなければ人に踏まれる地上に漂う。

 しかし、この作品は『詩』としての情念があり、決して踏むことの出来ない人としての傷痕が漂っている。
 クロバエであることは必然である。


(写真は神奈川県立近代美術館/葉山『若林奮 飛葉と振動』展・図録より)

まだまだ…。

2015-09-04 06:22:12 | 日常
 今月の「歩こう会」は、雨のため順延になったので、親しい仲間だけで会食。

「えっ、そうだったの」
 思いがけない告白に衝撃を受けた。年を重ねると、みんな少しづつ何らかの支障を抱えてくる。

 憎らしいほどに頑強、何があっても折れないタイプ。《大丈夫・平気》という言葉が似合いの気丈な友人。
 
 大手術をしたという。「今度で四度目ね、切開は」と他人事。

「・・・」

 
《きっと、大丈夫》今の医学は凄い、むしろ心配なのはわたしかもしれない。(今年こそ検診に・・・)

 Ah・・・秋だねぇ、わたし達の人生。でも、戻らない春に未練はない。


「今度さぁ、あそこの学食へ行ってみない?」
「そうね」

《まだまだ・・・まだまだ食欲だけはあるぞ!》

『銀河鉄道の夜』68。

2015-09-04 06:15:07 | 宮沢賢治
「ザネリはどうしてぼくがなんにもしないのにあんなことを云ふのだろう。走るときはまるでネズミのやうなくせに。ぼくがなんにもしないのにあんなことを云ふのはザネリがばかなからだ。」


☆薀(奥義)を挿(さしはさみ)組(くみあわせる)運(めぐりあわせ)である。

『城』2073。

2015-09-04 05:59:33 | カフカ覚書
アマーリアは、こう言った。たしかに思い違いではありません。それどころか、わたしは、もっといろんなことも知っています。あなたも、オルガに好意をいだいていらっしゃって、バルナバスの使いの用件かなにかを口実にして訪ねていらっしたのも、ほんとうは、オルガだけがめあてなのです。


☆アマーリア(作り話/マリア)はこう言った。思い迷うことはありません。なお預言者のことも知っています。彼女はKもまたオルガ(機関/仲介)に愛着を抱き、バルナバス(北極星=死の入口)の何かの知らせを口実に訪問したのも、現実にはオルガ(機関/仲介)だけが有効手段なのです。