続・浜田節子の記録

書いておくべきことをひたすら書いていく小さなわたしの記録。

若林奮『Ⅱ-1-8』『Ⅱ-1-9』

2015-09-20 06:54:05 | 美術ノート
 『Ⅱ-1-8』(写真左上)
 この物は何だろう。正立方体、塞がれた小さな穴、テープを貼った箇所は修復の跡らしい。
 敷かれた黒い布地は、紐が下に用意されているところを見ると梱包を予想させる。

 球体は、ある意味自然である。しかし自然の中に、Cube状態の物はない。(岩石にあることはあるが、合体状態であって正立方体としては孤立していない)
 つまりは、人間の英知(作意)である。人の仕事(観念)のデータの集積ではないか。それを隠蔽するべく黒い布地と紐が包むに足りない不具合を見せて置かれている。

 『Ⅱ-1-9』(写真右上)においても同じことが言える。しかしこちらは正立方体の素材が異なって居り、無傷に見える。

 この相違は、時代の変移かもしれない。『Ⅱ-1-9』の方が時代を遡るのではないか。
 人類が、試行錯誤して、むしろ傷つき、疲弊しているような風情がある。存在の痛み…隠蔽使用の黒い布らしき物や結びつける(拘束)の紐は、羞恥かもしれない。

 時代の雰囲気を例えるならば・・・時代の空気は、ひどく無味乾燥であるという提示を感じる。
 肌に感じる触覚、感想を物質に変換。空気と物質を相似形に解釈するというのは奇想天外、突飛である。
 しかし、作家の中で質的変換を計算したならば、こうなるという。鑑賞者は観察することを止めて、肯くしかない。


(写真は神奈川県立近代美術館/葉山『若林奮 飛葉と振動』展・図録より)

不安の振動尺。

2015-09-20 06:32:55 | 日常
 一昨日購入してきた刺身がチルド室にあるのに、今日も同じ刺身を買って来てしまった。しかも昨日も一昨日もその刺身を食べずに、冷凍室と魚を常温に戻して焼き魚にして食卓に出している。

 ほとんど訳の分からないことをしている自分に衝撃を受けている。

 (これは太るから)と、手を出さないピーナッツ、(でもたまには)と、買ってきたら、野菜室に手触りの同じものが・・・Ah。


 (まずいな、まずいな、わたしの頭から記憶が消えていく)

 
 サークルで話すと、「よくあることよ」とみんな慰めてくれる。
 友人たちは「実は、わたしもね・・」と、侃侃諤諤。


 でも色々なこと、まったく思い出せない事が多すぎる。生活に支障が出るほどでないにせよ、一歩手前の痴呆状態。


 色々捨てて、シンプルにしたいのに、つまらない物を買い込んでくる。安物、ガラクタ、今すぐ棄てたいようなものが積み重なっている棚は、すでに次の物を押し込む余地がない。


 どうすればいいんだろう・・・。部屋の中のゴミは増えていくのに、頭の中はどんどん減っていく。

 少しでも記憶が定かなうちに、整理整頓を心がけなければ。
 目はかすみ、足はよろよろ、自分自身の物理的な状態にも綻びがあちこちに出ている。

 どうすればいいんだろう・・・一番の懸案は自身の劣化かもしれない。

『銀河鉄道の夜』84。

2015-09-20 04:49:07 | 宮沢賢治
「いま誰もゐないでわかりません。あしたにして下さい。」 
 その人は、赤い眼の下のとこを擦りながら、ジョバンニを見おろして云ひました。


☆推しはかり図りごとの釈(意味を明らかにする)
 現れる禍(不幸、災難)を察(明らかにし)験(調べる)運(めぐりあわせ)である。

『城』2089。

2015-09-20 04:43:41 | カフカ覚書
その口実を使いやすいようにしてあげるために言っておきますけど、場ルンバすは白、からあなたのために伝言をもって帰ってきた場合でも、それをお知らせするためにわざわざまた学校まで出かけるわけにはいきません。


☆わたしはその遺体(死体)を軽くするためにも言っておきますが、バルナバス(北極星=死の入口)からあなたのために知らせを持って帰った場合でも罪過を報告するわけにはいきません。