『Ⅱ-1-8』(写真左上)
この物は何だろう。正立方体、塞がれた小さな穴、テープを貼った箇所は修復の跡らしい。
敷かれた黒い布地は、紐が下に用意されているところを見ると梱包を予想させる。
球体は、ある意味自然である。しかし自然の中に、Cube状態の物はない。(岩石にあることはあるが、合体状態であって正立方体としては孤立していない)
つまりは、人間の英知(作意)である。人の仕事(観念)のデータの集積ではないか。それを隠蔽するべく黒い布地と紐が包むに足りない不具合を見せて置かれている。
『Ⅱ-1-9』(写真右上)においても同じことが言える。しかしこちらは正立方体の素材が異なって居り、無傷に見える。
この相違は、時代の変移かもしれない。『Ⅱ-1-9』の方が時代を遡るのではないか。
人類が、試行錯誤して、むしろ傷つき、疲弊しているような風情がある。存在の痛み…隠蔽使用の黒い布らしき物や結びつける(拘束)の紐は、羞恥かもしれない。
時代の雰囲気を例えるならば・・・時代の空気は、ひどく無味乾燥であるという提示を感じる。
肌に感じる触覚、感想を物質に変換。空気と物質を相似形に解釈するというのは奇想天外、突飛である。
しかし、作家の中で質的変換を計算したならば、こうなるという。鑑賞者は観察することを止めて、肯くしかない。
(写真は神奈川県立近代美術館/葉山『若林奮 飛葉と振動』展・図録より)
この物は何だろう。正立方体、塞がれた小さな穴、テープを貼った箇所は修復の跡らしい。
敷かれた黒い布地は、紐が下に用意されているところを見ると梱包を予想させる。
球体は、ある意味自然である。しかし自然の中に、Cube状態の物はない。(岩石にあることはあるが、合体状態であって正立方体としては孤立していない)
つまりは、人間の英知(作意)である。人の仕事(観念)のデータの集積ではないか。それを隠蔽するべく黒い布地と紐が包むに足りない不具合を見せて置かれている。
『Ⅱ-1-9』(写真右上)においても同じことが言える。しかしこちらは正立方体の素材が異なって居り、無傷に見える。
この相違は、時代の変移かもしれない。『Ⅱ-1-9』の方が時代を遡るのではないか。
人類が、試行錯誤して、むしろ傷つき、疲弊しているような風情がある。存在の痛み…隠蔽使用の黒い布らしき物や結びつける(拘束)の紐は、羞恥かもしれない。
時代の雰囲気を例えるならば・・・時代の空気は、ひどく無味乾燥であるという提示を感じる。
肌に感じる触覚、感想を物質に変換。空気と物質を相似形に解釈するというのは奇想天外、突飛である。
しかし、作家の中で質的変換を計算したならば、こうなるという。鑑賞者は観察することを止めて、肯くしかない。
(写真は神奈川県立近代美術館/葉山『若林奮 飛葉と振動』展・図録より)