『Ⅱ-1-4』『所有・雰囲気・振動ー森のはずれ」のための模型№9(写真左下)
直方体、空洞の内部は空色であり、外壁は全体土色で草木らしきデッサンが施されている。
つまり、巨きく拡がっているはずの空という空間を自身の目撃した土地やその上の草木(森のはずれ)で閉じこめている。存在空間の逆転は景色の私的所有を意味する。
視野に広がる光景が、更に広がっている空(大気中)を封じ込めている景である。しかも角張った容器としての固定は、自身の想定としての表明であり、あくまでも自身の所有である。
この設定は、自然における概念を覆すものである。空(大気/air)を封鎖するなど自然への冒涜とも思える暴挙に鑑賞者は首を傾げざるを得ない。
大空を自分の水平な視野にある景色(緑)に包み込む空想上の私的所有。豊かな平安、眠りの異世界…空への飛翔を、所有される雰囲気であると名付けている。
世界の驚異、天地の接合、有り得ない景色の展開である。それをまったく内緒話の囁きに似た小さな世界に相対的に疑似化している作家の意図。平然と空(air)を所有するという変換を見せている。
結論としての大いなる肯定。
誰しも経験することがあるかもしれない・・・森のはずれで空を見上げると、確かに空は視野の中では《底》に当たる印象がある。この率直な感想こそが作品の要かもしれない。
若林奮という作家は相対的に世界を所有する企みを作品にしている。それは、ごく自然な見解としての自然への畏敬に帰結する仕事だと思う。
(写真は神奈川県立近代美術館/葉山『若林奮 飛葉と振動』展・図録より)
直方体、空洞の内部は空色であり、外壁は全体土色で草木らしきデッサンが施されている。
つまり、巨きく拡がっているはずの空という空間を自身の目撃した土地やその上の草木(森のはずれ)で閉じこめている。存在空間の逆転は景色の私的所有を意味する。
視野に広がる光景が、更に広がっている空(大気中)を封じ込めている景である。しかも角張った容器としての固定は、自身の想定としての表明であり、あくまでも自身の所有である。
この設定は、自然における概念を覆すものである。空(大気/air)を封鎖するなど自然への冒涜とも思える暴挙に鑑賞者は首を傾げざるを得ない。
大空を自分の水平な視野にある景色(緑)に包み込む空想上の私的所有。豊かな平安、眠りの異世界…空への飛翔を、所有される雰囲気であると名付けている。
世界の驚異、天地の接合、有り得ない景色の展開である。それをまったく内緒話の囁きに似た小さな世界に相対的に疑似化している作家の意図。平然と空(air)を所有するという変換を見せている。
結論としての大いなる肯定。
誰しも経験することがあるかもしれない・・・森のはずれで空を見上げると、確かに空は視野の中では《底》に当たる印象がある。この率直な感想こそが作品の要かもしれない。
若林奮という作家は相対的に世界を所有する企みを作品にしている。それは、ごく自然な見解としての自然への畏敬に帰結する仕事だと思う。
(写真は神奈川県立近代美術館/葉山『若林奮 飛葉と振動』展・図録より)