続・浜田節子の記録

書いておくべきことをひたすら書いていく小さなわたしの記録。

若林奮『Ⅱ-4-d1』

2015-09-26 06:36:14 | 美術ノート
 心理的なドローイング。
 わたし達は地上の人であり、地上で生活をしている。しかし、世界は水平に見える社会や限りない天空のほかに、地下という見えない領域をも有している。

 見えないということは、確信を持てないことであり、不安の温床でもある。この下には何があるのだろう? 誰しもが抱く疑問は物理や化学の分野で証明、あるいは探求されているから観念的には肯ける。
 しかし、地上に風が吹くように、地下の世界にも何かが蠢いているのではないか。
 少なくとも静止はない、すべては流動している。世界全体が変容している。その渦中に人類という生物も共存しているのであれば、地下を覗く心理は至極当然なことである。


 スケッチは地層を調べるという物理的根拠を求めているわけではなく、あくまで心理的な眼差しで地の底を覗いている。ボーリング調査ではないが、垂直に見下ろした眼差しの先には確信の欠如が見えるばかりではないか。
 観察者はこの地上に立っているが、不変の安定が保障されているわけでない。この地上は潜在的な不安に満ちている。

 スケッチに描かれた垂直に深く掘られた穴には、泥・砂・岩石…水脈もあるかもしれない。地殻はほんの70キロメートルくらいで…マントル・コア・外核・内核へと続いている。外核は流動しているから地震波は伝わらないし、地球磁場が逆転していた時期もあるという不可解な地の底(地球)。


 二人の人間が膝をついて眺め下している地下である地の底。
 存在者は水平に眺め渡した山河ばかりか、垂直方向である上下、天空や地下にも囲まれている。その振動の真っただ中に生息している人である観察者。
 存在の視点としての支点に感じ得る空気の振動は、人によって在るのではなく、周囲の振動によって人が在るのだという対等な関係である。

 人は常に自然に対峙・共存している。(見えない地下という世界をも…)


(写真は神奈川県立近代美術館/葉山『若林奮 飛葉と振動』展・図録より)

『銀河鉄道の夜』90。

2015-09-26 06:27:44 | 宮沢賢治
「ジョバンニ、らっこの上着が来るよ。」すぐみんなが、続いて叫びました。ジョバンニはまっ赤になって、もう歩いてゐるかもわからず、急いで行きすぎようとしましたら、そのなかにカンパネルラが居たのです。


☆常に惹きつける鬼(死者)の俗(世間一般)の教(神仏のおしえ)の釈(意味を解き明かし)、普(あまねく)救う考えが挙(すべて)である。

『城』2095。

2015-09-26 06:21:24 | カフカ覚書
彼は、まえに一度ぼくをひどくがっかりさせたことがありましたが、あれは、彼の罪というよりは、ぼくのつみだったんです。ぼくが当地に着いたばかりの、まだ頭の整理もできていなかったころの出来ごとだった。


☆確かに先祖の汚点にひどく失望しましたが、むしろ、あれは彼の罪というよりは特殊な罪だったのです。拘留の立場で混乱していたころに起きたのです。