これは何の模型なのだろう。黄色の着色、そして切り込んだ空洞の中の緑色。
『Ⅰ-4-5』は一個であり『Ⅰ-4-6』は切り込んだ空間が二つ並列に在るという景色。
山と平地…そして切り込まれた空間。切り込んだということは人為であり、英知の為せる業である。窟は自然のものもあるが、人間の手によって掘られ、英知を証拠づける壁画なども発見されている。
つまり、わたし達が普通に目にする景色のその奥(あるいは地下)に、もう一つの世界が内在しているということである。
長い時間の中に眠り続けている過去の文化が密やかに眠る景色は想像に難くない。実際に発見された洞窟は幾つもあり、実証されているからである。
光に照らされ視覚を可能とする景色の下に隠れた世界がある。しかし、見えない地下は存在するかもしれないが、視覚を通さない景色においては非存在と同列である。
緑色に象徴される生存の可能性。『Ⅰ-4-6』に見る周囲を囲む点描(穴)は何を意味するのだろう。直線的な並びは人為である。二つが対称に在るという景色も人為に他ならない。
地上に模した、否、地下に秘した世界(文化)の神秘。
若林奮の試作・・・。見えないもの(世界)を想像する精神の鼓動、道の向こう、地の果て、地平線の下。
光(黄)と存在(生きる証としての緑/光合成による酸素)が景色を造る。
そして、これはもしかしたら古代のお墓ではないか・・・。
極端なほどシンプルに集約した景色としての作品・試作であると思う。見える物(景色)としての所有、しかし、その距離はもちろん曖昧である。
(写真は神奈川県立近代美術館/葉山『若林奮 飛葉と振動』展・図録より)
『Ⅰ-4-5』は一個であり『Ⅰ-4-6』は切り込んだ空間が二つ並列に在るという景色。
山と平地…そして切り込まれた空間。切り込んだということは人為であり、英知の為せる業である。窟は自然のものもあるが、人間の手によって掘られ、英知を証拠づける壁画なども発見されている。
つまり、わたし達が普通に目にする景色のその奥(あるいは地下)に、もう一つの世界が内在しているということである。
長い時間の中に眠り続けている過去の文化が密やかに眠る景色は想像に難くない。実際に発見された洞窟は幾つもあり、実証されているからである。
光に照らされ視覚を可能とする景色の下に隠れた世界がある。しかし、見えない地下は存在するかもしれないが、視覚を通さない景色においては非存在と同列である。
緑色に象徴される生存の可能性。『Ⅰ-4-6』に見る周囲を囲む点描(穴)は何を意味するのだろう。直線的な並びは人為である。二つが対称に在るという景色も人為に他ならない。
地上に模した、否、地下に秘した世界(文化)の神秘。
若林奮の試作・・・。見えないもの(世界)を想像する精神の鼓動、道の向こう、地の果て、地平線の下。
光(黄)と存在(生きる証としての緑/光合成による酸素)が景色を造る。
そして、これはもしかしたら古代のお墓ではないか・・・。
極端なほどシンプルに集約した景色としての作品・試作であると思う。見える物(景色)としての所有、しかし、その距離はもちろん曖昧である。
(写真は神奈川県立近代美術館/葉山『若林奮 飛葉と振動』展・図録より)