続・浜田節子の記録

書いておくべきことをひたすら書いていく小さなわたしの記録。

若林奮『大気中の緑色に属するもの』

2015-09-19 07:06:24 | 美術ノート
 なぜ緑色なのか。
 緑ー植物ー光合成ー酸素ー生命の源・・・。

 なぜ大気中と括ったのか。
 大気(air)は物体の狭間で視野に入るが、視野に認識されることはない。あるとすれば、風など何らかの圧力による移動により垣間見ることがあるかもしれない。

 若林奮の作品に出合ってから、対象物との位置関係の変動、あるいは空気の流動性について考えさせられているが、作家の深い洞察力の眼差しに改めて驚かされている。

 見えないものの質的変換は見えるものを紛失させる。元の形を否定してしまうので、今までの観念的なデーターの集積を取り払わないと見えてこない。(ちなみに通常は経験上のデーターの集積によって対象が見えてくるものである)


 緑・・・生命の源は、精神の脈打つ振動に証明される。見ること、見えることの普遍と変動(流動)への反応、もしくは感動である。

 
 図形に関して言えば、単純に○は肯定であり、×は否定である。
 さまざまな楕円形は薄いブルー(水色)に侵食されているものが多い。
 黄色や土色は光や地面を暗示し、黒い部分は地下の暗部かもしれない。
 小さな点(○)は穴とも隆起とも考えられる。
 指跡は、圧力、もしくは否定かもしれない。

 これらが『大気中の緑色に属するもの』であるという。空と光があって、他に様々なものが混在しているが、きっちり縦横に区分けされた平面図。むしろ緑色の主張は希薄に見えるが、青と黄を混ぜれば『緑』が現出する。

 大気中の緑の分解図にも見える作品を前に、「どうだ!」と立っている作家の姿が写った写真。彼はこの作品(大気)の中に存在する《わたくし》という動かぬ視点である。


(写真は神奈川県立近代美術館/葉山『若林奮 飛葉と振動』展・図録より)

『銀河鉄道の夜』83。

2015-09-19 06:40:15 | 宮沢賢治
「あの、今日、牛乳が僕んとこへ来なかったので、貰ひにあがったんです。」ジョバンニが一生けん命威勢よく云ひました。


☆恨めしい過(あやまち)を、語(ことば)で遅々(ゆっくり)撲(たたき打つ)。 
 鬼(死者)の省(自己を振り返ってみる)が逸(かくれている)。
 照(あまねく光が当たる=平等)の冥(死者の世界)の精(こころ)を、運(めぐらせている)。

『城』2088。

2015-09-19 06:28:35 | カフカ覚書
でも、あなたのほうは、わたしたちのところへしゅっちゅうお越しくださってかまわないのですよ。たぶんなんの障害もないでしょうからね。だって、いつもバルナバスの使いの用件ということを口実になさればいいんですもの。


☆しばしば来ることも出来ます。多分、小舟が障害ですが、バルナバス(北極星=死の入口)の知らせを口実にすればいいのですから。