『天才の顔』
頬と眼のあたりがくり抜かれた石膏像(頭部/無機質)が細い板状の上に乗っている。刻みの入ったその板状の上には枝葉のついた黒いピルボケが順次乗っている。
この板状のものは着地しておらず、浮いている、浮遊しているようである。
これらの条件で描かれた『天才の顔』
◎もしあなたの右の目が罪を犯させるなら、それを抜き出して捨てなさい。
◎『目には目を、歯には歯を』と言われていたことは、あなたがたの聞いているところである、しかし、わたしはあなたがたに言う。悪人に手向かうな、もし、だれかがあなたの右の頬を打つなら、ほかの頬も向けてやりなさい。
◎命にいたる門は狭く、その道は細い。そしてそれを見いだせる者が少ない。
(『マタイにより福音書』より)
この作品を見るときはどうしてもこれらの言葉が浮かんでしまう。
そして、黒いピルボケは罪人の擬人化ではないか。罪や過ちを犯した人の黒、その人と共に在る時空の橋(死にいたる門)、混沌の時空の上に失うものを恐れない顔がある、まさしく天才の顔と呼ばずしてなんとしよう。
人類の罪を償ったとされる『天才の顔』ではないかと、推測する。
(写真は国立新美術館『マグリット』展・図録より)
鳥捕りは、だまってかくしから、小さな紙きれを出しました。車掌はちょっと見て、すぐ眼をそらして、(あなた方のは?)といふやうに、指をうごかしながら、手をジョバンニたちの方へ出しました。
☆懲(過ちを繰り返さないように懲らしめる)を補(たすける)章(文章)は詞(ことば)で推しはかる。
赦(罪や過ちを赦す)の章’文章)を兼ね含んでいる。
崩(みまかる)死を守る法(仏の教え)を推しはかる。
しかし、なんとしてでもあんたを説得しなくてはなりません。とくにあんたの愛情と期待とを考えるとちゅうなにかに妨げられて(それがなんであるか、ぼくにはわかりませんが)、バルナバスが自分で手に入れたものではなく、彼にむこうからあたえられたものが十分にわかっていないからです。
☆見てごらんなさい。常に何かに妨げられてーわたしはそれが何かわかりませんがーバルナバス(生死の転換点)が成し遂げたものでなく、向こうから与えられたものとして十分に認められていないからです。