『呪い』
青空に散在する雲・・・それっきりの画面である。
行方知らぬ雲の変幻に、呪いは隠されているというのだろうか。
地に伏せるのは悲嘆や懺悔であり、空を仰ぐのは願望である。願望には確かに(呪い)の感情が含まれることがあるかもしれない。呪詛という怨念は善に外れる悪の領域に在る。
雲は蒸気であり、気体になったり、液体(あるいは個体/雪)になって地へ降り注いだり、常に不安定な状態にある。
常に揺れる心のうちに酷似してるかもしれない。
雲=呪いではないが、変幻自在の流動にイメージを重ねる傾向はないとはいえない。
大いなる自然である雲を見上げる視線は、何物にも遮られない直線として結ばれる。
黙して語らぬ雲という現象は、出現と消滅を繰り返しながら人の手の届かないところに在り、この隔たりは『呪い』の感情に近い。
他者への憤懣・口惜しさ・恨みの内的膨張は、あの雲に似ている。呪いは形なき激高であり、マグリットは抑制する胸の内をあの雲に預けたのかもしれない。
(写真は国立新美術館『マグリット』展・図録より)
網棚の上には白い荷物も見えなかったのです。
網棚はモウ・ホウと読んで、亡・法。
上はショウと読んで、照。
白いはハクと読んで、吐く。
荷物はカ・ブツと読んで、果・仏。
見えなかったはゲンと読んで、現。
☆亡(死)の法(仏の教え)は照(あまねく光が当たる=平等)だと吐く。
果(予想した通り)仏が現れる。
バルナバスは、あの部屋への出入りを認められているというせっかくの恩恵を、あんなところで何もしないで何日間もぶらぶらとすごすために浪費してしまっている。あるいは、こちらへ帰ってくると、さっきまでそのまえでびくびく身ぶるいをしていた連中のことを疑ったり、けなしたりし、また、絶望したためか、手紙もすぐには配達しないで使者の任務をなおざりにしている。これでも畏敬の念を持っているといえるでしょうか。こんなものは畏敬でもなんでもない。
☆バルナバス(生死の転換点)はあの空間に出入りすることを許されている。あそこ(来世)では何日間も何もしないでいる。こちらへ帰ってくると疑わしさで戦慄し小さくなっている。疑ったり疲れたりで手紙(書き物/告知)はすぐに運ばず、小舟のことを打ち明けてもすぐに実行できないでいる。これは畏敬の念などでは少しもありません。