続・浜田節子の記録

書いておくべきことをひたすら書いていく小さなわたしの記録。

今日から。

2016-03-24 07:16:29 | 日常

 お彼岸の入りにお坊さんが見え読経も済み、待ち兼ねていた彼岸明けの本日。

 数日前、市営墓地の広場でラジオ体操があるとの張り紙を見つけた。(えっ、いつから?)
 何時から始められていたのか、全く知らなかった。常々、近くでラジオ体操の集会があればいいなと望んでいたところの告知の張り紙。

 ところが読んでいくと、墓地という場所柄、お彼岸・お盆などは、雨天・荒天とともにお休み。
(そういえば、今はお彼岸の期間・・・)

 そうして指折り数えて待った彼岸明けの本日。
《8時45分》という時間帯もちょうどいい。ネットで調べたら、横須賀市各所で実施されている模様。開始はたいてい6時半なのに、墓地の事務所前という関係から8時45分の特例。(6時半はブログの時間、ずらせばいいだけの話だけど)

 運動嫌いのわたし、このまま身体を動かさないでいると更なる支障・不具合が出ること必至。
 近くでのラジオ体操に賭けている、他力本願のわたし。続くかな?とりあえず今日は行かなきゃ!


マグリット『冒険の衣服』

2016-03-24 06:52:40 | 美術ノート

 『冒険の衣服』
 裸の女人が両手を挙げて横たわっている。
 床は木目の厚い板状にみえるが、これは地層の簡略化ではないか。
 彼女の上にはオサガメが泳いでいる。

 この世界
 空気の代わりに水よみて
 人もゆらゆら泡をはくべく  (『歌稿』より/宮沢賢治)

 異相・・・相の異なる世界、水の底に沈められた霊魂。幾世代、重ねられた地層に静かに眠る清冽な魂。
 無防備で邪気のない女人の裸体、彼女は異相に眠る人であり、彼女の衣服は《相を違えた水》である。
 冒険の衣服とは、すでに異相(霊界の水)に眠る女人の大胆かつ奔放な邪気のない清浄な着衣にほかならない。


(写真は国立新美術館『マグリット』展・図録より)


『銀河鉄道の夜』262。

2016-03-24 06:30:59 | 宮沢賢治

「僕はあの人が邪魔なやうな気がしたんだ。だから僕は大へんつらい。」ジョバンニはこんな変てこな気もちは、ほんたうにはじめてだし、こんなこと今まで云ったこともないと思ひました。


☆朴(ありのまま)に訊(といただす)邪(よこしまな)魔(鬼)の詭(いつわり)を、僕(わたくし)は代(入れ替えて)片(二つに分けた一方)の記にし、混ぜて運(めぐらせる)試みをしている。


『城』2267。

2016-03-24 06:18:39 | カフカ覚書

もっとも、わたしがバルナバスをお城へやったという非難は、当たっていませんわ。わたしがあの子をやったのではなく、あの子が自分で行ってしまったのです。でも、力ずくでも、策略を使ってでも、説得をしてでも、とにかくあらゆる手段を尽くして引きとめるべきだったかもしれません。そうするのが当然だったでしょう。


☆もちろん、バルナバス(生死の転換点)を、死界に送り出したという非難は違います。わたしは彼を送っていません。彼自身が向かったのです。しかし、力ずくでも説得をしてでも、あらゆる手段を尽くしてでも彼を引きとめるべきだったのかもしれません。