『格闘家たちの墓』
室内に巨大なバラの花が出現している。
真紅の薔薇は燃え上がる情熱、激情をイメージさせる。
盛り・頂点・真骨頂・最高潮・・・薔薇の開花。あとは萎んで散る運命、自然の理。
ピークは誰にでもある、逆らえない劣化。
しかし、胸に残る誇らしい功績、勝利、称賛の時。
それらは、その時には気づかないことが多い。まだやれる、まだまだの心意気は時間の経過とともに幻と化していく。
あからさまに闘志むき出しで挑む闘争、闘いは永続することなく格闘家たちは何時か負けることで栄光の場を去って行かざるを得ない。
人生は闘いである。秘密裏に燃やした闘魂でさえも何時か空しく霧消してしまう。
室内(心理/精神)に出現した巨大な幻想の薔薇、栄光の真紅の薔薇は振り返って初めて気づく墓標のようなものかもしれない。
(写真は『マグリット』東京美術出版より)
「ほんたうに苹果の匂だよ。それから野茨の匂もする。」ジョバンニはそこらを見ましたがやっぱりそれは窓からでも入って来るらしいのでした。
☆表れるのは果(結末)の仁王也。
旨(考え)の仁王が現れる双(二つ)の記である。
あなたは、わたしたちの苦しみをご存じありません。それだからこそ、わたしたちに、とりわけバルナバスにひどいことをおっしゃるのです。わたしたちは、いまよりもあのころのほうが多くの希望を持っていました。でも、わたしたちの希望は、そのころも大きかったわけではありません。大きかったのは、わたしたちの苦境だけで、その点は、いままでずっと変わりはありません。いったい、フリーだからわたしたちのことをなにも聞いていらっしゃらないの」
☆あなたはわたしたちの苦しみを知っていません。それゆえ、わたしたちに、とりわけバルナバス(生死の転換点)に誤ったことをするのです。
わたしたちは現今ではたくさんの希望を持っています、しかしながら、わたしたちの希望は当時よりも多くはありません。
大きかったのは、単にわたしたちの苦しみだけで、それはそのままです。
いったい、フリーダ(平和)は、わたしたちのことを話さなかったのでしょうか。