続・浜田節子の記録

書いておくべきことをひたすら書いていく小さなわたしの記録。

インフルエンザ。

2016-03-13 07:42:02 | 日常

 孫がインフルエンザにかかり、弟たちに伝染しないように我が家に連れてくるという。

 こんなことでもなければ、孫と一緒には過ごせない。
 もし同居していれば、それは楽しいに違いないけれど、こんなブログとも無縁になるかもしれない。自由にブログを書かせてもらっているのは生活を別にしているからで、ある意味感謝しなくてはいけないのかもしれない。

 その場、その場の境遇に従うことを旨としている。
 臨機応変…明日、いえ、今日からの一週間は・・・。

 ふと思う。
 わたしは毎朝ブログを書いているけれど、単なる惰性だろうか、と。
《何となく》である、強制された義務感があるわけでもなく、ただ書いている。

 母が亡くなったのは65歳、65歳を過ぎてからは余禄の時間だと感じている。解放されているけれど、どこか締まりがなく緊張感に欠けた毎日を甘受している。

 息子と孫を交えた時間の中で、何か新しい発見があるといいなと思う。


マグリット『秘密の分身』

2016-03-13 07:08:07 | 美術ノート

 『秘密の分身』
 赤い唇は女性を思わせ、短髪は男性のようでもある。つまり、男も女も等しく《こうであろう》ということである。
 背後の中央には水平線が見え、手前にはさざ波が立っている。また、右端に区分された柱(カーテンか)によって、人為的な領域(室内空間)にいることを暗示している。

 文明社会の成人の胸像である。その顔の表面部分が殻のような質をもって剥がされ、左に移行している。左右を合体させれば一人の顔面になるかもしれないと想像させる図である。
 その右の剥がされた顔面の下(内部)には、得体のしれない太いひも状のものに鈴のようなものが数多付着している。

 静かな海を背に任意の人が佇んでいる、そういう光景に他ならないが、そこに秘密の分身たる暴露が公開されている。
 鈴は《言葉(主張、流言・・・)》であると思う。言葉は観念・イメージと結びついている。
 視覚・聴覚・触覚・味覚・臭覚などの五感によって感受しうるものが、言葉に変換される秘密の分身器官が、人の内部には隠されている。
 ただ、言葉から受ける印象は各個人に差異があり、同一のイメージを抱くとはいえない。
 言葉はイメージを誘い込むが、各人の複合的な条件下では異なる反応を余儀なくされているに違いない。つまり、決定はなく要約された共通性においてのみ認識されるに過ぎないから、ここに秘密の分身たるゆえんが隠されている。

 見えないし、見ることが叶わない秘密の分身は誰にでもある。それは時間とともに流れていくようでもあるし、再び浮上するかもしれない不思議な分身である。

 有るけれど無い、無いけれど、確かに在る内的器官の分身は、潜んでいて決して具体化された姿を持たないものである。


(写真は((株)東京美術『マグリット』より)


『城』2259。

2016-03-13 06:42:05 | カフカ覚書

彼を元気づけてやったりするのは、きみのしていることは正しい、これまでどおりのやりかたをつづけていきなさい、と言ってやるようなものです。けれども、これまでのやりかたじゃ、彼はなにひとつとして達成できないでしょう。目隠しをされている人間にむかって、目隠しの布帯ごしに見てごらんといくら元気づけてやったとしても、なにも見えはしないでしょう。


☆彼を鼓舞する意味は、あなたのしていることは正しい、今まで通りの方法で続けるべきだと言っていることです。このような方法は何一つとして得ることはできないでしょう。目を閉じている人間に向かって、姿を消して、じっと見てごらんと鼓舞しても何も見えないでしょう。