《ねばならない》ことからの解放。
両親を看取り、息子たちも独立し、離れて行ってしまった後の孤独。
束縛されて一見不自由に見える生活の苦労は、生きる糧だったかもしれない。ポカーンと空いた穴を埋める術が見つからない。
明らかなのは老いて、身体の不自由の自覚だけである。
これではいけない、自分をいさめても結局同じ場所から離れることなく一日を過ごし、夕刻にはその虚しさに呆然とすることがある。
《今さら》と自分の人生を自嘲する。
頑張る…頑張れない…頑張る…頑張れない・・・花びらを一つづつ千切る恋占いには程遠い反問。
のんびり行こう、もうすぐだもの。
(もうすぐ)って、どこ?
悲観的感想こそ千切って捨てたいけど、複雑なのは乙女心だけじゃない。
『イメージの裏切り』
明らかにパイプを描いて「これはパイプではない」という。
この意図はどこに在るのだろうか。
物に名付けられた言葉は、その社会の約束であり、律である。それを外せば混乱・混沌は必至であり、社会は機能しなくなってしまう。
しかし、あえてマグリットが「これはパイプではない」というメッセージを出すのは、観念の揺さぶりである。
「これはパイプではない」
鑑賞者はここで肯定するだろうか。
「いや、これはパイプ以外の何物でもない」と心中騒がしく反問し、やがて(他の名前でもよかったかもしれない)と譲歩してみる。
否、否・・・各人が各人のイメージをもって呼称すれば、意味不明になってしまう。
共通の概念を持つことの正当性が浮上する。
「これはパイプではない」という問題提議は、「これはパイプである」という答えに帰結する可能性を含んでいる。
見えている対象の真偽への警告、『イメージの裏切り』の鋭い切込みに感服するしかない。
(写真は『マグリット』西村書店刊)
隣には黒い洋服をきちんと着たせいの高い青年が一ぱいに風に吹かれてゐるけやきの木のやうな姿勢で、男の子の手をしっかりひいて立ってゐました。
☆倫(人の行うべき道を告げる。
要は複(二つ)の記の考えであり、照(あまねく光が当たる=平等)の念(思い)が逸(かくれている)。
黙って死の世(世界)を談じ、詞(ことば)で趣(狙い)を留めている。
そういう結果になりかねないのです。そうなったら、わたしたちは、あなたを失ってしまいます。なにしろ、あなたという人は、隠さずに申しますが、いまではわたしたちにとって、バルナバスがこれまでお城でつとめてきた仕事よりも大事な人だと思ってもよいくらいなんですもの。にもかかわらずーわたしが毎晩頭を痛めているのは、この点の矛盾なのですー
☆わたしたちはあなたを失ってしまいます。わ葦はそれを告白します。場rなバス(生死の転換点)がいままで死に尽力してきたことよりも(荒地)はさらに重要です。けれど、たとえ、完璧な終末(死)だとしてもーわたしを苦しめているのはこの異論なのです。