年に一度の某所のセール。
0円でもらってきた生地でチュニック2枚作りました。つぎはぎ部分もある2枚、ハウスウエアーだから・・・いいかなって。
2m買った深緑の生地は結局エプロン2枚と小物にしました。
0円のピンクの生地がまだあるけど、使いかねて迷っています。
近頃は眼が不調で、縫物も怖くてはかどりません。
生地を見ると欲しくなる病気、治らないでしょうか。
元気でいられたらお会いしたいと思っています。なんか情けなくてごめんなさい。
元気にお会いしたいと思っています。では、ご報告まで。
(ピンクのシャツ、ユニクロで買いました。ユニクロ・デビューです。)
『呪い』
青空に散在するいくつもの雲が描かれている…これを称して『呪い』とする根拠はどこにあるのだろう。全くの自然、人の思惑とは無縁の天空である。
《呪いとは悪》であり、物理的現象とは隔絶された精神界のみの行為にほかならない。
しかし、人は自分の不運をほかのものに転嫁して空を仰ぐことがある。無窮の空に答えがあるはずもないが、そこに霊的あるいは神秘な存在を妄想し、対象の不幸や災厄を願うという陰湿な謀をする本来全く無為な行為である『呪い』。
それら精神界の陰謀、流動的でつかみどころのない呪いの情熱は、天空に散在する雲に似ている。
在ると思えば無く、無いと思えば発生している天然の雲。
呪いの正体は見えない、しかし、それを皆無にすることは難しい。三態をもって変化し存在し続ける地球の水に等しく、人の心における呪いの感情も打ち消しがたく時に現れ、時に姿を消すのではないか。
煩悩であり、業である。
(写真は国立新美術館『マグリット』展・図録より)
「よろしうございます。南十字へ着きますのは、次の第三時ころになります。」車掌は紙をジョバンニに渡して向ふへ行きました。
☆難(災い/苦しみ)を套(おおう)慈(いつくしみ)の記である。
示す題(テーマ)はSun(太陽)の慈(いつくしみ)による赦(罪や過ちを許す)章(文章)であり、詞(ことば)の図りごとの考えの講(話)である。
これにくらべて、ぼくのほうは、いまもって、とてもほんとうとはおもえないほど不利な条件から出発したんですよ。というのは、ぼくたちは、手紙を手に入れている、ぼくは、それをたいして信用しているわけじゃないけれど、バルナバスの言葉よりはずっと信用している。
☆わたしは全くありそうにない不利な事情から出て行ったんです。わたしたちは手紙を手に入れている、それ(死)を信用していないが、バルナバス(生死の転換点)よりは(死)を信じている。