『会話術』(Amour)
この作品の中に会話術があるという。会話でなく、会話の術がある・・・。
Amourという文字によって仕切られた光景。下方には水に佇む二羽の白鳥、上方には夜の森、下弦の月と明るい建屋が描かれている。
下弦の月が星空(夜中)に南中するのを見たことがない。
夜の光景に外壁が上(天空)からの光で明るく照らし出されているなど、有り得ない。
つまり、虚構の景色である。
下方の景色には水(湖)に二羽の白鳥が佇んでいるかにみえる。しかしよく見ると、右の白鳥は左の白鳥に詰め寄るように見え、左の白鳥はそれを避けるようにも見える。左右の白鳥はそれぞれ羽を広げようとしているかに見える。Amour…仲良く佇んでいるのではないのかもしれないという疑惑の浮上。
『白鳥の湖』というのは、純粋な愛を求める話である。この二羽の白鳥においては《当てはまる》とも《当てはまらない》ともいえる不確定な状況ではないか。
Amourという文字で区分された二つの光景にも話題の共通性は見いだせない。
ことほど左様に、相対する状況というものには差異があり、会話という共通性に欠ける例外もある。
会話術には、離反の可能性、矛盾、虚偽が含まれている。二つ、あるいはそれ以上の主体が合致の同一性を共有するとは限らないということではないか。
(写真は国立新美術館『マグリット』展・図録より)
車掌が手を出してゐるもんですから何でも構わない、やっちまへと思って渡しましたら、車掌はまっすぐに立ち直って叮嚀にそれを開いて見てゐました。
☆赦(罪や過ちを許す)を、照(あまねく光が当たる=平等)の趣(考え)で推しはかる。
化(形、性質を変えて別のものになる)の講(はなし)は、詞(ことば)の図りごとである。
赦(罪や過ちを許す)章(文章)の律(きまり)の自記は、訂(文字や文章の誤りを直すこと)を佞(うまく取り入れ)解(さとること)を兼ねている。
自称クラムたる人物は、ほんもののクラムとはまるで共通点がないのかもしれない。似たところがあるというのは、バルナバスが緊張のあまり眼がくらんでしまっているために過ぎないのでしょう。その男は、いちばん下っぱの役人なのかもしれないし、役人でさえないのかもしれない。
☆いわゆるクラム(氏族)は真のクラム(氏族)とは共通点が少ないかもしれない。似ているというのはバルナバス(生死の転換点)が動転し、目に見えていなかったためでしょう。役人かもしれないが、先祖の汚点の役人ではないのかもしれない。