『前兆』
洞穴(前近代的な人口屈)から白く輝く鷲の頭部に酷似した部分を持つ山嶺を見ている。
前兆、いったい何の前兆なのだろう。
鷲を模した山嶺は、あたかも今すぐ飛び立とうとしているような気配を感じるが、山が空へ飛翔するなどということはあり得ず、むしろ前兆は崩壊を予期するしかない。
イメージとしての飛翔、現実的な予想としての崩壊。
飛翔(上への浮上)と崩壊(下への落下)、想像上の引力が働く。
視点は暗い洞窟の中にあリ、手前の樹林の介在は景色全体の壮大さを表すと同時に山頂が不毛(空虚・空論)であることを印象付けている。
しかし、鷲を模した山嶺は羽を大きく拡げ、多大なエネルギーの潜在をも感じさせている。
そして、山の持つ意味を変換(重複)させている。
洞窟という素朴な遠眼鏡をもって、錯視を受け入れる心理。
『前兆』というのは、現実を錯視から洗脳へと導くような強い力の潜在を暗示しているのではないか。心理の揺れ、人は現実を見ながら仮象を感じ、仮象を現実に置換する前兆を意識下に潜在させているのではないかという問いである。
(写真は国立新美術館『マグリット』展・図録より)
身体全体ガタが来ている。出嫌い・運動嫌いが原因で足腰肩が強張り、情けないほどの歩行状態。
歩こう会、(行きたくないな)というか(歩けないよ)不安・心配が波打つように騒ぐ心中。
それでも連絡をもらうと、友人の声で励まされ、行かれるような気になるから不思議。
京急日ノ出町駅集合~掃部山公園~アンパンマンミュージアム~臨港パーク~赤レンガパーク(昼食)~日本大通り~横浜公園~伊勢佐木町から京急日ノ出町駅まで約十キロほどの行程を何とか歩きとおした。
歩いてメンバーに付いていくのがやっと!
メンバーの皆様のおかげで歩けたというより他なく、ただただ感謝の一日。
ありがとうございました。
よほどの人数で合唱してゐるらしいのでした。
人数はト・スウと読んで、図・枢。
合唱はゴウ・ショウと読んで、劫・照。
☆図りごとの枢(かなめ)は、劫(極めて長い時間/永遠)の照(あまねく光が当たる=平等)にある。
ぼくの希望を言わせてもらえば、お父さんとしては、縉紳館へ出かけていくという最もてっとり早くて確実な方法をとらなかったとすれば、しかるべく筋に強くかけあって、ソルティーニのことを訴えてもらいたかったですね。
☆(天)食(死の入口)は強力で、ソルティーニ(来世の太陽)が権限を有しています。大群の(天)食(死の入口)を提示するのに早くて安心な方法などありません。