安物買い、安物しか買わない…そうして人生が暮れようとしている。
高価なものは一つもない。わたしが死んだら、「まとめて一気に捨ててね」と言ってあるけど、それにしても、すべてがチープ。
399円のTシャツ、裁断落としの布地で作ったチュニック、500円のズボン・・・大体がこのレベルの服装。髪の毛は自分でカットするし、ピアスも半製品を買って作ったので350円の代物、380円の大容量の化粧水を一年中使用。
この年になると「安物だから」の言い訳も、みんな〈知っている)からと思うと口にも出せない。
せめてお金で買えない健康だけは保持したいと思う。
歯はしっかり磨いて《8020》を目指し、膝痛を押して歩き、食のバランスは欠けることのないように努めている。
もう少しでゴールだもの、ガンバルしかない。
(いいんだ、十分だよ)と、慰めている全身チープで不格好なわたし。
がんばれ、がんばれ、わたし。元気出していく!(行くしかないでしょう)
『赤いモデル』
素足とブーツの結合がでこぼこの地面に上にあり、かたわらには印刷物の切れ端(女性のヌード写真)、小銭(硬貨)、たばこの吸い殻・マッチ、背景は木目の克明に表れた板塀。
これが『赤いモデル』の全容である。
『赤』が象徴する事項・・・情熱、危険、停止、そして共産主義。
荒地の上の素足は、過酷な労働を想起させる。足と靴の結合は人間が即ち労働力であることの証であり、ここに喜びを感じることは難しい。
この物の影は上にあるべき上体を含んでいるような気がする。しかし、足先が照らされているのに、かかとから上に光が届いていないのはいかにも不条理である。
人であることの尊厳・存在価値の消失を暗示しているのかもしれない。
バックの板塀の木目は歳月であり、節穴や規則的に打たれた釘の縦列は、閉塞的な圧政を感じさせる。
低い賃金、貧しく禁欲的な生活、靴の上に存在すべき人の融解は、人権の剥奪を意味している。
この時代の『赤いモデル』、黙して単純化して見せた赤に対する仮説である。
(写真は『マグリット』西村書店刊より)
そして両手に赤と青の旗をもってそらを見上げて信号しているのでした。
☆霊(死者の魂)を守(まもる)責(為すべき仕事)の照(あまねく光が当たる=平等)の記が検(しらべる)のは、常に審(正しいかどうか明らかにする)業(善悪すべての行為)である。
しかし、あの子が行かなかったことで、わたしたち一家のうえに呪いの宣告がくだされたのです。そして、こうなると、使者にたいする仕打ちだって、もちろん、赦しがたいことになってしまいました。それどころか、世間では、このことだけが表面に押しだされてしまったのですわ」
☆彼女がいかなかったことで、わたしたち一族に天罰が下ったのです。もちろん小舟に対する扱いも許されないことになりました。それどころか、世間ではこのことだけが前面に押しだされてしまったのです。