続・浜田節子の記録

書いておくべきことをひたすら書いていく小さなわたしの記録。

マグリット『海の男』

2016-06-18 07:04:25 | 美術ノート

 『海の男』
 海、砂浜に立つ男、しかし、足元の床板の断片は左右に分かれていて不如意であり、顔は顔ほどの大きさの平板な板に隠されている。右手には何かのレバーを握りしめているが、宙に浮く断片だけが表出しており、他の暖炉や籐椅子も辛うじて想起に足りるほどの断片にすぎない。
 背景の海は不吉、あるいは深い悲しみを象徴しているような曇天である。

 黒い着衣というより、生理的な肉体条件を外した身体であり、男と言っているので男に限定しているという感じである。

 海・・・母なる海という印象のある海に、あえて『海の男』と題している。

 暖炉があり籐椅子があるという平和な生活をしているが、立っている足元(生命)は必ずしも永遠を約束しない。
(このレバーを引きさえすれば、世界は変換されるのかもしれず、異空間(あの世)へと通じる道が開くのかもしれない)

 匿名のこの男、母なる海に背を向けてはいるが、今しも海に入る準備が出来ているような気配は海(母なる海)への渇望を思わせる。・・・しかし、男は日常生活の中に生きているらしい。
 レバーで変換される世界はないが、男は海の至近に心を寄せ海を静かに想っている。
 不穏な背景の海は、誘い込むような引力を秘めているとも、それを拒否する力のようにも見える。

 『海の男』は、切ない純情を隠蔽した裸の心である。(誰にも介入を許さないマグリットの母恋かもしれない)


(写真は『マグリット』西村書店刊より)


『城』2349。

2016-06-18 06:28:27 | カフカ覚書

たしかに、いろんな逃げてはあったでしょう。ほかのひとだったら、たとえば、念入りに身ごしらえをし、それによっていくらかは時間かせぎができ、さて縉紳館へ着いてみると、ソルティーニはすでに去ったあとだと聞かされたかもしれません。


☆幾多の方策はあったでしょう。たとえば先祖の他の人だったら美しく飾り、時間かせぎをし、大群の暈(死の入口)へ着いてみるとソルティーニはあちらに去ったあとだったかもしれません。