『複製禁止』
男は鏡に本来映るはずの自身の前面(顔)でなく、背面(後姿)を見ている。
後姿は過去だろうか、あるいは未来かもしれない。
要するに現時点を直視せず、過去・未来に思いを馳せていることである。
鏡は鏡の手前に在るものをそのまま映す、であれば当然男の前面が見えるはずであるが、背後を映しているというのは、鏡が異空間であることを指している。つまり、彼のイメージ(想像)上の具現である。
彼の前にある台の上の本が映り込んでいるが、微妙にずれている。(斜めに置かれたものが平行に近い感じになっている)それに、鏡の前の台も微妙に曲がっているような気がする。
そして、彼の背後が虚空であるのも奇妙である。
鏡は(複製)を旨とする媒体である。
しかし、物理的条件を度外視した複製を描いて、『複製禁止』とは。
複製を幻想化(イリュージョン)したということは、複製の否定である。
複製の否定を描いて、『複製禁止』とする迷走。否定の否定は大いなる肯定に行き着くのだろうか。
仮象の扉は開いたままである。
(写真は『マグリット』西村書店刊)
けれどもいつともなく誰ともなくその歌は歌ひだされだんだんはっきり強くなりました。思はずジョバンニもカンパネルラも一緒にうたひ出したのです。
☆推しはかった化(形、性質を変えて別のものになる)で、果(結末)を遂(なしとげる)。
匡(ただした)詞(言葉)が逸(隠してる)諸(もろもろ)を推しはかる。
たかがソルティーニのそんな手紙一本ぐらいで、どうしてアマーリアが永久に面目を失なってしまったことになるのでしょうか。あんたの話を聞いていると、どうもそんなふうに考えているようにおもえるんですがね。だけど、そんなことはありえないことじゃありませんか。
☆ソルティーニのこのような書き物でアマーリアが常に単なる晒しものになるのでしょうか。あなたの話は信じることができますが、有り得ないことではありませんか。