月イチのサークル活動、講師を迎えて十人が集う。
にぎやかにおしゃべりの花が咲く…屈託のない笑い、子育ても終え、自身の体調管理が話題の中心な昨今。
若い時のように身体が自由に動かず、何気ない動作に疲れを感じてしまう。
バス停が至近にあるAさん、朝に晩にその辺りを掃除しているらしい。三十年、否、四十年の日課、大病を患った後のこの日課は厳しいらしく、愚痴の一つもこぼさずにはいられないという。
「だってね、タバコだって、わたしの目の前で、ポイ捨てでしょ…」嘆きは収まらない。
(まぁまぁ)と自分をなだめて遂行している日課にも寄る年波のせいか、ひどくストレスを感じている様子。
そうだよねぇ、なんでもなくこなしてきた仕事、他人のための少しの犠牲・・・そういう少しの行為が重くなる年頃なんだよね。
当たり前のようにご近所を清掃しているお婆さんがいたら、「ごくろうさま」や「ありがとうございます」の挨拶くらいしてあげてください。
人生は徒労の積み重ね・・・なんですか?
『すみれの歌』
石化した二人の男(一人の分解)が岩石の乱立する地上に方向を直角に違えて進もうとしている。見えるはずの景色(空間)もまた石化し、閉じられ、刻むべき時を失った停止状態である。
何もかもが石化した風景・・・石には不変性を持つイメージがあり、不滅ではないが流動性や変容には大きな力が必要であり、耐性・沈黙の物質である。
イメージとしての石化は、時を止め、永続には風化が予想される。
という条件下ので『すみれの歌』とはどういう意味をもつのだろう。
二人の脚は歩き出し進む意思を持った姿勢であり、佇んでいるわけではない。
前へ進もうとして、突然暗礁に乗り上げたような停止。突然のように相を変えられてしまった慟哭。
頑強な岩石に対する《すみれ》という小さな花。
すみれは西洋では多くの聖母にささげられる花であるという。
この男たちの向かう場所、行くことの決して叶わない《母》への思慕。(男は二手にも分かれて探索している)
向かおうとして断絶を見ざるをえない隔絶、張り巡らされたバリア。それでもなお行こうとしているのか、硬直し石化したイメージは自身に下した冷血な判決かもしれない。
(写真は『マグリット』西村書店刊より)
「いまこそわたれわたり鳥、いまこそわたれわたり鳥。」その声もはっきり聞こえました。それといっしょにまた幾万といふ鳥の群れがそらをまっすぐにかけたのです。
☆聴(注意深く聞き)、懲(過ちを繰り返さないようにこらしめる)。
償(つぐない)の悶(もだえ苦しむ)鬼(死者の魂)がいる。
満(たくさん)の懲(過ちを繰り返さないようにこらしめる)群(人たち)がいる。
この土地には、腕利きの弁護士さんたちがいますのよ。この人たちは、お望みとあれば、煙のないところにでも火をつくりだしてみせる手を知っています。
☆ここにはたくさんの利口な弁護人がいて、望みとあらば、意味を作り出します。何もないところから作り出すこともできるのです