『記憶』
ギリシャ彫刻を思わせる女性の頭部のみの白い石膏像、額の側面から流れ出る鮮血。
背後には鈴(言葉・伝説・流言・噂など)
側面は木目を克明に描きこんだ板が塀になって向こう側を遮っている。
ここは砂浜だろうか、海と空とのけじめも定かではない茫漠とした空気が漂っている。
記憶は誰の記憶なのだろう。もの思いに沈んだような女性の顔、額の鮮血、背後の鈴(言葉)を見る限り女の記憶のように思えるが、この作品全体を見る者の記憶かもしれない。
血は傷痕、哀しみの象徴であり、その因は背後の鈴(言葉)にある。過去か未来かは判別できないが、長い月日を遮蔽している板状の壁は飛び越えられるような高さしかない。(もちろん石膏像が動けるはずもないが)
超えようとして越えられない障壁ではなかったが、在って無い言葉(空漠)は、生あるものを死に至らしめてしまった。
記憶を手繰り寄せても、手掛かりになる証拠は霧消している。
石膏像の頭部は、すなわち《死》の象徴である。血を流すほどの苦悩、晴らすことのない遺恨。
止まったままの時の中に『記憶』だけが浮遊している。
(写真は『マグリット』西村書店刊より)
川は二つにわかれました。そのまっくらな島のまん中に高い高いやぐらが一つ組まれてその上に一人の寛い服を着て赤い帽子をかぶった男が立ってゐました。
☆千(たくさん)の字に套(おおわれた)衷(心の中)の考えうを、講(はなし)に逸(かくしている)。
素(本質)の照(あまねく光が当たる=平等)が逸(隠れている)図りごとの換(入れ替え)が複(重なっている)。
釈(意味を解き明かす)謀(はかりごと)の詞(ことば)の談(はなし)が、律(きまり)である。
使者をどんな目にあわせたかというようなことは、それ自体としてはそのうちになんとか片がつくことだったかもしれません。その気になれば、もみ消すことだってできたでしょう。
☆小舟をどう取り扱ったかということかもしれません。その気になれば、人に知られないように見捨てることもできたでしょう。