『幕間』
片足片手が新しい生き物のように付着し、ポーズをとっている。幕を引く、あるいは開ける手は片足のみの共同体である。
不穏な空に少々傾いた山には点々と穴のようなものが開いている。山の地肌は、異質な質感を持っている。
遥か遠くの空には白い光が認められるが、手足の影の光源は手前にある。つまり、区切られた隔絶の世界である。
手足がなくても生存は可能であるが、脳や五臓六腑の欠落した手足のみの人間というものは現世ではありえない。
あり得ないものの光景は既に現世ではない。現世の向こうにあると思われる領域は来世と呼ぶ空想の世界である。
時間は不可逆であれば、この光景は死(異世界)へ向かうプロセスの『幕間』ではないか。
手足は幽霊の範疇であるが、肉を有し、あたかも生きている態の手足は通常の見識からすればグロテスクに見える。
右端に見える槽は現世に馴染みの物であり、幕もしかり・・・現世の名残リ、混在。
鑑賞者はこれら手足群に困惑しながらも擬人化を意識せざるを得ない。人のパーツを見て人を想起するというのも奇妙な操作であるが、そう強いられる要素がこの絵にはある。手足のみの切断は当然死であるのに、生命を感じる策(ありさま)があるという奇妙。
この作品は死への幕間ではなく、《観念と観念からの解放》の『幕間』である。この絵の所有する肯定と否定の重複は、有り得ない世界への否定と自由な肯定の『幕間』である。
(写真は『マグリット』西村書店刊より)