昨日は義姉の夫の一周忌。
一族が集まったところで長兄が一人づつ写真を撮ってくれた。
なんで?
戸惑いながらも、わたしもパチリと納まった。
プロ並みの腕を持つ義兄・・・ああ、そうか。
「ほらっ」って見せてくれたけど、眩しくて(老眼だし)見えなかったけど、確かに白髪のわたしがそこに・・・。
これで安心して、いつでもあの世に行けます。いつも何となく気がかりだった遺影の写真。
ありがとうございました。
『つき刺された持続』
タイトルから推して深い悲しみを感じる。つき刺さったまま永遠に消えない傷痕の空漠。誰にも介入を許さない秘密の時空である。
まさに時間と空間の亀裂のような非現実的なエリアとしての室内。
時刻を示す時計の両側には火の灯っていない燭台があり、それらは背後の鏡に等しく投影されているが、他には何も映っていない。室内を配して室内の景が映らないというのは奇妙というより、この室内が幻想であることを表している。
暖炉の壁からは煙を吐く汽車が突出しており、進行方向は鏡に見る虚空、幻想界である。
虚空/異次元は、現世(生)とは裏腹にある時空であり(死)を暗示しているのかもしれない。
克明に刻み描かれた床板の年輪は、空しく過ぎていく時間の経過を刻み込んでいるような気がする。
マグリットにとっての神聖な秘密、それは、離れゆくものとの永訣のときである。
《忘れない、永遠に!》
マグリットの哀しみが床板の木目に静かに沈着している。
(写真は国立新美術館『マグリット』展・図録より)
そして青い橄欖の森見えない天の川の向ふにさめざめと光りながらだんだんうしろの方へ行ってしまひそこから流れて来るあやしい楽器の音ももう汽車のひゞきや風の音にすり耗らされてずうっとかすかになりました。
☆章(文章)が換(入れ替わること)を覧(よく見ると)真(まこと)が現れる。
展(広く見渡す)千(たくさん)の考えの試みは法(仏の教え)の講(はなし)である。
縷(細く連なる糸)のような記の絡(つながり)は、鬼(死者の魂)が隠れている記である。
赦(罪や過ちを許すこと)に恩(人情をかけること)を望む。
面目をとりもどすことぐらい、アマーリアにすれば造作のないことだったし、二、三日もすれば、この事件も忘れられてしまったでしょう。ソルティーニが面目を失墜させたのは、アマーリアでではなく、じつは自分自身だったのです。
☆先祖への償いは、アマーリアにすれば容易なことで少しばかり広まっても、この事件は忘れられてしまうでしょう。アマーリアは単なる晒しものではなく、ソルティーニ自身だったからです。