カフカの『隣村』隣村にさえ行きつく前に人生が終わってしまうという話。
若い頃は(まさか)と思っていたけれど、近頃は実感している。(ああ、こんなふうに時は過ぎ去り、過去になっていくんだなぁ)
そして、隣村(目標)に近づくように見えて、それは、ずっと遠くに座している。この距離は埋まらない、それでも進もうとしているが、隣村(目標)そのものが霧消して見えず、途方に暮れている。
甘えは確かに在る、困難なことは避けようとする当然の心理に勝てない。
(昨日もそれとなく終わり)期待すべき今日も、どこか疲れて積極的な体制に欠ける。ずるずると…この表現がぴったりの日常。
(ダメだ、ダメだ)
ダメでもともと、肩の力を抜いて気楽に行こう!
瞬く間に消えてしまうであろう(わたし)に固執することはない。自由に楽しく呑気に過ごすことの可能な老年時代を謳歌しよう。老女ならぬ朗女で能天気に行く!
『脅かされた殺人者』
左右の壁にはそれぞれ棍棒を持った男と捕獲網を持った男がいる。
部屋の内部にいる男は蓄音機の音に耳を傾けており、近くには仕事用らしきカバン、椅子には帽子とコートがそれぞれ置かれている。
ベットの横たわる女の裸体は、口から血を吐いており、『殺人者』と題していることから、被害者であると想定される。
そして外部には三人の男がその現場を直視しており、何とも寒々しい山々が背景に控えている。
これらがこの『脅かされた殺人者』の条件である。
殺人者は誰なのだろう。凶悪な犯罪とはかけ離れた穏やかな顔やポーズであり、眼差しは被害者と思われる裸体を見ていない。
脅かされた・・・脅しているのは誰だろう。
端的に言えば、この現場は逆さに見るべきなのかもしれない。つまり外部の三人の男の側から見るという仕掛けである。
女(母かもしれない)の死に際し、三人の男(三人の息子)は、疑っている(脅している)。
外部からは一人の男(父かもしれない)の後ろ姿が見えるだけであリ、少しうつむいているので嘆いているようにも首を傾げて真実を追求しているようにも見えるが、実のところ無関心ではないか。
棍棒(暴力)を持った男や捕獲網(拘束/束縛)を持った男は彼らから見えない。つまり、想像の域である。
これら三人は、別人とも同一人物の分解とも思える。
外部の三人の男たちは真相を確かめるべく、男の背中を凝視している。
《なぜ女(母)は死んだのだろうか》
脅しているのは外部の三人の男(息子)、脅かされているのは他の考え事(仕事)で頭がいっぱいの男と想像の域を出ないが彼もしくは誰かの暴力と束縛を疑っている。
窓の外の男たち(息子)は、女(母)の首を絞めるに至った原因を懐疑している。
マグリットの深層心理、情景は手前からでなく、ずっと奥(外部)から見た懐疑の現場であり、床板の木目が描かれていないのは、止まったままの眩い記憶そのものだからではないか。
(写真は『マグリット』西村書店刊より)
するとぴたっと鳥の群れは通らなくなりそれと同時にぴしゃぁんといふ潰れたやうな音が川下の方で起ってそれからしばらくしいんとしました。
☆懲(過ちを繰り返さないようにこらしめる)の群(人たち)が痛(痛みを感じる)道(神仏の教え)を、字で廻(めぐらせている)。
隠れた千(たくさん)の法(仏の教え)が基(根本)である。
けれども、アマーリアは、そんなことも、それに似たようなこともしませんでした。あの子は、あまりにもひどい侮辱を受けたので、無条件に拒否してしまいました。
☆しかしながら、アマーリアは、死ぬことも、それに似たこともしませんでした。彼女はひどい侮辱に無条件に拒否しました。