続・浜田節子の記録

書いておくべきことをひたすら書いていく小さなわたしの記録。

『飯島晴子』(私的解釈)川の木を。

2021-07-06 07:08:08 | 飯島晴子

   川の木を男の餅皿まはつてをり

※曲芸師だろうか、二本でも凄いが川だから三本?の棒に上で皿を回している光景?

 川の木はセン・ボクと読んで、閃、目。
 男の餅皿はダン・ヘイ・ベイと読んで、断、柄、米。
 まはつており(廻居)はカイ・キョと読んで、皆、拠。
☆閃(きらりと光る)目(まなざし)は断(はっきり決める)柄(力、勢い)がある。米(八十八歳)、皆(みんな)拠(頼りにしている)。

 川の木はセン・ボクと読んで、千、撲。
 男の餅皿はダン・ベイ・ヘイと読んで、断、兵、米。
 まはつており(廻居)はカイ・キョと読んで、下意、挙。
☆千(たくさん)撲(叩く/なぐること)を断(たちきる)兵(兵隊)。
 米(アメリカ)の下意(末端にある人々の気持や意思)の挙(ふるまい)である。

 川の木はセン・モクと読んで、遷、目。
 男の餅皿はダン・ヘイ・ベイと読んで、談、蔽、米。
 まはつており(廻居)はカイ・キョと読んで、皆、挙。
☆遷(移り変わること)が目(ねらい)である。
 談(話)は蔽(見えないようにしている)。
 米(マイ)→My(わたし)の皆(すべて)に挙(企て)がある。


D『ローズ・セラヴィよ、何故くしゃみをしない?』5。

2021-07-06 06:29:34 | 美術ノート

 角砂糖型の大理石は原石の加工であり人の手が加わった画一化された個々である。
 イカの甲は天然自然の末路であり、温度計は自然との関わりを叡智によって計るものである。

 角砂糖型の大理石の単一、どこをとっても同じく培われた観念であり、必然である。
 イカの甲の天然は偶然の産物であり、あるがままの態である。温度計を差し入れたのは一種のジョークかもしれない、つまり温度差というメッセージである。

 そして鳥かごという狭くも区切られた空間、出口も空いており周囲も見渡せる、しかし、出るという意思のない物にすぎない哀愁。この光景は悲惨でもなく幸福でもないが、条理を外している。前提条件は(鳥かご)であれば、鳥の不在に違和感を覚える。
 鳥の不在、鳥が世界を明け渡しているとも考えられる。しかし、鳥は自由に飛び回り、鳥かごの不自由を笑っているかもしれない。少しずつ当たり前(観念)を外したこの状況の居心地の悪さは、心理的な、あるいは直感としての外的刺激を孕んでいる。

 物が偶然収められているように見える景色はデュシャンの必然的な行為である。


 写真は『DUCHAMP』 www.taschen.comより


『国道の子供たち』17。

2021-07-06 06:19:31 | カフカ覚書

むかしの戦争の胸甲騎兵のように、地面を蹴立て、反り身になって、たがいに急き立てながらぼくたちは短い小路を駆けおり、足にその弾みをつけて一気に国道を駆け上がった。


☆古代の戦いの胸甲騎兵のように、激しく突き空中高く互いに追い立てあった。陰の裏町の入り口で国を追われた人たちが(天の)軌道を駆け上がっていった。