続・浜田節子の記録

書いておくべきことをひたすら書いていく小さなわたしの記録。

『飯島晴子』(私的解釈)晩春の。

2021-07-30 07:04:44 | 飯島晴子

   晩春の湖上を歩む人ありき

 晩春はバン・シュンと読んで、万、蠢。
 湖上はコ・ジョウと読んで、古、城。
 歩む人ありき(歩人有)はフ・ジン・ユウと読んで、腐、尽、憂。
☆万(多数)の蠢(虫がうごめく)古い城がある。
 腐って尽(すべて無くなること)を憂(心配してる)。

 晩春はバン・シュンと読んで、判、悛。
 湖上はコ・ジョウと読んで、子、情。
 歩む人ありき(歩人有)はフ・ニン・ユウと読んで、怖、認、宥。
☆判(可否を定め)悛(過ちをただす)子の情(気持ち)。
 怖(こわがること)を認(見分け)宥(なだめている)。

 晩春はバン・シュンと読んで、蕃、瞬。
 湖上はコ・ジョウと読んで、枯、常。
 歩む人ありき(歩人有)はブ・ジン・ユウと読んで、蕪、甚、憂。
☆蕃(草木が茂る)のは瞬(またたく間)である。
 枯れるまで常に蕪(雑草が生い茂る)甚(はなはだしい)憂(心配)がある。

 湖上はコジョウと読んで、古城。
☆晩春の古城を歩む人ありき。


D『3つの停止原基』

2021-07-30 06:33:17 | 美術ノート

   『3つの停止原基』

 収めるための箱の設え、装飾は皆無にして技術の高さ、そして安易さ。また厳重なことこの上ない質素な容器…相当な年代物、月日を経た雰囲気を醸している。

 この3つの停止原基は秘められたものであるに違いない、厳重な保管状態から現出し並べられた3つの停止原基なるものは、偶然の産物、偶然できた曲線としか思えない線状であり、この3つの停止原基に一致するものは無いと確信するほどである。

 この3つは似ており、流動的な線は、水や風の流れに似て留まるものではないという暗黙のメッセージが隠されている。
 空の雲、海川の流れ、地中の変動・・・これらはすべて刻々と形を変化させており、二度と再び回帰はあり得ない無二のものである。

 決して同じ形にならない、瞬時の動きを固定させた記念碑的な線状。歴史の一端を切り取った沈黙の証しである。
 名づけられぬもの、無名、時間の中の一刹那。3つということさえ任意に過ぎない。

 この刻まれた時空の一刹那は、世界の歴史の時空における一刹那に等しい。この線状が時空の《停止原基》である。


 写真は『DUCHAMP』 www.taschen.comより


『国道の子供たち』33。

2021-07-30 06:17:10 | カフカ覚書

ぼくはみんなから見えなくなった最初の十字路を曲り、野道をまた森へと駆けて行った。ぼくは南の都会を目指していたのだった、その都会についてぼくたちの村ではこんなことを言っていた。


☆全く見ることができなかった最初の十字路を曲がり、そして星座の運行で、再び厚い壁を抜け、(めざす)場へと走った。わたしは絶え間なく南へと向かった。そこは、わたしたちにとっての来世という意味である。