続・浜田節子の記録

書いておくべきことをひたすら書いていく小さなわたしの記録。

『飯島晴子』(私的解釈)紅葉に。

2021-07-12 07:22:40 | 飯島晴子

   紅葉に臓腑を低く谷の人

 恍惚恍惚はコウ・ヨウと読んで、更、容。
 臓腑を低くはゾウ・フ・テイと読んで、増、風、綴。
 谷の人はコク・ニンと読んで、克、認。
☆更(入れ替えて)容(おさめ)、増やす風(やり方)で綴り、克(十分)に認(納得、見分ける)。

 紅葉はコウ・ヨウと読んで、恍、妖。
 臓腑を低くはゾウ・フ・テイと読んで、像、婦、態。
 谷の人はコク・ニンと読んで、酷、人。
☆恍(うっとりする)妖(なまめかしい)像(すがた)の婦(夫人)の態(ありさま)に酷(容赦なく厳しい)人がいる。

 紅葉はク・ヨウと読んで、句、要。
 臓腑を低くはゾウ・フ・テイと読んで、造、腑、偵。
 谷の人はコク・ニンと読んで、告、任。
☆句の要(かなめ)を造るには、腑(心の中)を偵り告げて任(委ねる)。

 紅葉はク・ヨウと読んで、供、養。
 臓腑を低くはゾウ・フ・テイと読んで、増、譜、逓。
 谷の人はコク・ジンと読んで、酷、尽。
☆供養を増(加えること)は譜(代々引き続く)。しかし、
 逓(次第に変化する)酷(きびしさ)に尽(無くなっていく)。


鈴木しづ子(私的解釈)雪の夜を。

2021-07-12 06:58:39 | 鈴木しづ子

   雪の夜を泪みられて涕きにけり

 雪の夜を、の(を)は何だろう。(に)でなく(を)である。
 時間の経過、夜に経過した時間の幅かもしれない。

 雪は景色を同質にする。しかし夜の暗さは神妙さを加え、孤独をより深くする。震撼とする夜の冷酷には死の扉さえ微かに見え隠れするが、この神秘の空間は安堵をも誘い、わたしに優しい。

 浄化、わたしの中の懺悔や毒を夜の雪は昇華するようだと思った瞬間、こみ上げるものが・・・見られただろうか、わたしは涕いたかもしれない。神秘の闇はわたしを涕かせたのです。


D『階段を下りる裸体(no.2)』

2021-07-12 06:28:13 | 美術ノート

 裸体、と言われれば裸体に見える物の連写風である。
 確かに階段を下りるときの人間の体制には違いない、しかし、この作品の必然的な意味は何かを問うと、時間、時の刻みしか見えてこない。しかもそれは、階段を降りるときの人間の動きを経験、熟知したものに限られる。建物の構造を知らなければ通じることのない、想像し得ない一枚である。

 第一、人間という態を成さない板状の質感は機械的でさえあり、血肉の生を消している。物が移動する場合熱量(位置エネルギ=)が発生する。役には立たず無為に消える熱量に他ならないが、ある意味それは《人生》そのものであるような気がする。

 存在の意味、持続する生、始まりと終わり(生と死)・・・連続は永遠ではないが途切れることのない動きをもってそれを《生》とする。
『階段を下りる裸体』は人生そのものであり、人は裸で生まれ裸で死んでいくことの告白である。
『上から生まれ、下へと下降していく』デュシャンの皮肉かもしれない。


 写真は『DUCHAMP』 www.taschen.comより


『国道の子供たち』21。

2021-07-12 06:17:32 | カフカ覚書

ぼくたちにも壕にも一様な熱気があった、ぼくたちは草のなかに温かさも冷たさも感じなかった、ただ、疲れてしまった。
 右脇を下にして、手を頬の下に置くと、そのまま眠り込んでしまいたくなった。


☆みんな同じように熱心だった。わたしたちは温かさも冷たさも感じなかった、ただ、疲れていた。無造作に寝入ること(死)を喜び、寝入ること(死)を望んだ。