続・浜田節子の記録

書いておくべきことをひたすら書いていく小さなわたしの記録。

『飯島晴子』(私的解釈)紅梅で。

2021-07-21 07:29:43 | 飯島晴子

   紅梅であったかもしれぬ荒地の橋

※紅梅であったかもしれない荒地の境・・・今は荒地となっている耕地、かつてこの紅梅の木が土地の境目であったかもしれない。ちなみに梅の木は橋材にはならない。

 紅梅はコウ・バイと読んで、恒、狽。
 あったかもしれぬ(有知)はユウ・チと読んで、誘、質。
 荒地の橋はコウ・チ・キョウと読んで、交、致、怯。
☆恒(つね)に狽える誘いの質(内容)、交(付き合い)を致(まねかれる)と、怯んでしまう。

 紅梅はコウ・バイと読んで、劫、煤。
 あったかもしれぬ(有知)はユウ・チと読んで、憂、致。
 荒地の橋はコウ・チ・キョウと読んで、腔、質、況。
☆劫(おびやかす)煤(すす)の憂(心配)が致(まねく)腔(体内の中空になっている部分、胸腔、口腔、体腔、鼻腔、腹腔)の質(内容)の況(ありさま)がある。

 紅梅はコウ・バイと読んで、交、媒。
 あったかもしれぬ(有知)はユウ・チと読んで、友、智。
 荒地の橋はコウ・チ・キョウと読んで、巧、致、協。
☆交(交際)の媒(なかだち)をする友は智(頭の働きが優れている)巧(たくみ)に致(招き)協(話をまとめる)。

 紅梅はコウ・バイと読んで、公、売。
 あったかもしれぬ(有知)はユウ・チと読んで、猶、質。
 荒地の橋はコウ・チ・キョウと読んで、考、知、恐。
☆公売(差し押さえなどで得た物品を公告して入札、競売すること)を猶(ためらう)。
 質(内容)を考(調べ)知ると、恐い。


鈴木しづ子(私的解釈)風鈴や。

2021-07-21 07:12:08 | 鈴木しづ子

   風鈴や枕に伏してしくしく涕く

 風鈴の音! ガラスに触れる金属音・・・なぜか巡礼の鈴の音にも似た音域がある。
 一つ積んでは父のため 二つ積んでは母のためと、心もとなく石を積み重ねていくような寂寥感、そして孤独。

 風なき風の音、胸の底よりこみ上げる恋情、伏した枕に忍び寄るのは風だけ。泣いてみようか、母に叱られた子供のように、しくしく涕いている。


D『接近する金属の中に水車のある独身者の器具』2。

2021-07-21 06:36:54 | 美術ノート

 タイトルは作品に合致する、意味の分解、あるいは崩壊という点において。
 確かに水車らしきものが・・・単に車輪のようなものが対にあるに過ぎず、これが水流によって回転するとは到底考えられないし、ここに水もない。金属は他動であって自動的に接近は不可である。遠近法があるようで叶っていない図法である。しかもこれらに着地はなく浮いているとしか思えないが、浮く要素もない。

 条理の外に位置するこれらの集合はガラス板に描かれたものであるらしいが凝視するほどに意味を定めることができない設定である。

 情報収集の打破、組み立てられたデータは、この作品世界には通用しない。
《言葉と物》の間に接合不可能な溝を感じる、未来永劫結びつかない亀裂である。言葉と物は最初から結びついている、合致することが絶対条件だからであるが、その絶対を切断した行為がデュシャンの作品である。

 不合理、不条理、総てを否定しうる静かなる告発は大いなる条理かもしれない。


 写真は『DUCHAMP』 www.taschen.comより


『国道の子供たち』28。

2021-07-21 06:16:45 | カフカ覚書

どんなものもぼくたちを停めることはできなかったろう、ぼくたちは追い越すときたがいに腕を胸の前に組んで悠々と振り返ることができたほど、勢いにのって駆けた。


☆わたしたちを停めることは誰にもできなかったろう。哀れな人の追い越すのを傍観し、静かに振り返って見ることができたほどに走った。