続・浜田節子の記録

書いておくべきことをひたすら書いていく小さなわたしの記録。

『飯島晴子』(私的解釈)墓地の霧。

2021-07-19 07:22:40 | 飯島晴子

   墓地の霧はげしくつかふ父方や

 墓地の霧はボ・ジ・ムと読んで、墓、寺、務。
 はげしくつかふ(烈使)はレツ・シと読んで、烈、士。
 父方はフ・ホウと読んで、訃、報。
☆墓の寺務である烈士(信義に厚く一途な男)の訃報があった。

 墓地の霧はボ・チ・ムと読んで、墓、地、務。
 はげしくつかふ(烈使)はレツ・シと読んで、烈、死。
 父方はフ・ホウと読んで、怖、包。
☆墓地の務めは烈(きびしい)。
 死の怖(こわさ)に包まれている。

 墓地の霧はボ・チ・ムと読んで、慕、知、夢。
 はげしくつかふ(烈使)はレツ・シと読んで、烈、姿。
 父方はフ・ホウと読んで、浮、泡。
☆慕(したうこと)を知(相手に知らせる)夢の烈(はげしさ)。
 姿は浮(拠り所のない)泡である。

 墓地の霧はボ・ジ・ムと読んで、簿、字、務。
 はげしくつかふ(烈使)はレツ・シと読んで、列、詞。
 父方はフ・ホウと読んで、普、法。
☆簿(ノート)に字を務めて列(並べる)。
 詞(言葉)は普く法(手段)である。


D『急速な裸体に囲まれた王と女王』3。

2021-07-19 06:50:09 | 美術ノート

 絵画作品には焦点があり、それが主題(テーマ)をより強調・主張するという具合である。
 けれど、この作品には中心がなく、全体が等しく主張している。にもかかわらず、存在感の欠如によって浮上、あるいは流動的で定まる拠点を決定できない不思議がある。
 質感があるように見えて柔らかいのか固いのか、鋭いのか・・・軽重さえも確定できず、具体的な決定を持たない、感じることが不可能な描写である。

 確かに描かれており、綿密である。にもかかわらず、特定不能な逃げ足、隠匿がある。

『急速な裸体に囲まれた王と女王』と明確な名称を提示しながら名称自体が空に浮いてしまうのである。急速という言葉は動きを表すが(急速な)という形容詞はない。

 この大いなる分裂、集結しながら分散している意味の分解、漂流。
 混沌は階級制度を破壊し、無意味に並置している。《急速な裸体》という不明によって、総てが打ち消されてしまい、平等という平坦さえ見えなくしている。
 いわく言い難い、《意味の霧消》が作品を越えて伝わってくるのである。


 写真は『DUCHAMP』 www.taschen.comより


『国道の子供たち』25。

2021-07-19 06:18:09 | カフカ覚書

 月はもうかなり高くのぼっていた、郵便馬車が明りを点して通り過ぎて行った。微かな風が吹き渡って、壕のなかでもそれが感じられた、そして近くの森がざわめきはじめた。するともう独りぼっちになることがそれほど大事ではなくなった。


☆月はすでに高いところにあった。光の通信が通り過ぎて行った。微かに空虚が(風)が上昇してゆき、墓(死)のなかでもそれが感じられた。そして近くの森の植え込みがざわざわし、横たわっていることは(死)それだけではないのだった。