続・浜田節子の記録

書いておくべきことをひたすら書いていく小さなわたしの記録。

『飯島晴子』(私的解釈)窓ひとつ。

2021-07-28 07:24:19 | 飯島晴子

   窓ひとついつも粗食の鶴がゐし

 窓ひとつ(窓一)はソウ・イツと読んで、草、溢。
 いつも粗食(何時粗食)はカ・ジ・ソ・ショクと読んで、家、除、礎、触。
 鶴がゐし(鶴居)はカク・キョと読んで、確、墟。
☆草が溢れた家、除(取り除く)と、礎(土台石)があり、触って確かめる墟(旧跡)がある。

 窓ひとつ(窓一)はソウ・イツと読んで、総、逸。
 いつも粗食(何時粗食)はカ・ジ・ソ・ショクと読んで、化、辞、蘇、殖。
 鶴がゐし(鶴居)はカク・キョと読んで、各、挙。
☆総て逸(隠れている)。
 化(形、性質を変えて別のものになる)辞(言葉)で蘇(よみがえり)殖える各(それぞれ)の挙(企て)がある。

 窓ひとつ(窓一)はソウ・イチと読んで、捜、位置。
 いつも粗食(何時粗食)はカ・ジ・ソ・ショクと読んで、架、治、組、飾。
 鶴がゐし(鶴居)はカク・キョと読んで、格、据。
☆捜す(探し求める)位置に架け、治める組(くみ会わせ)の飾(かざり)は、格(きまり)に据える。

 窓ひとつ(窓一)はソウ・イチと読んで、双、一。
 いつも粗食(何時粗食)はカ・ジ・ソ・ショクと読んで、靴、示、祖、色。
 鶴がゐし(鶴居)はカク・キョと読んで、確、拠。
☆双(二つ)で一つの靴だと示(教える)祖(祖父母)。
 色を確かめることが拠(より所)である。


鈴木しづ子(私的解釈)母は病む。

2021-07-28 07:03:52 | 鈴木しづ子

   母は病む十薬の花咲きさかり

 十薬は薬効が多いと聞く。十薬は地下茎深く(40㎝くらい)どこまでも広がるので花のころは、まさに咲きさかり、白い点在が一面に続く光景を目にすることがある。

 こんなにたくさん、こんなに薬効のある十薬が咲いているのに、病む母を救済する術が見つからない。
(お母さん、どうしたらいいの・・・どうしたら、あなた治すことができるの)

 純白の花と緑葉の清廉、十薬の群落を見る目に映る愛する母の病床。切ない娘の心情である。


D『チョコレート粉砕機』(No.2)

2021-07-28 06:19:38 | 美術ノート

   『チョコレート粉砕機』(No.2)

 モデルがある、しかしモデルの形を借用しただけで本来の目的は決して達成不可能な設え、構想である。
 モデルには動力があり、ローラーは若干中央に傾き、豆を磨り潰す作用に拍車をかける仕組みである。ところが作品には動力が消失しており、ローラーの傾きも外に向いているという滑稽中央の心棒も役目を果たさない仕組みである。要するにチョコレートの粉砕ではなく、機能の粉砕である。

 無用の長物の案、一見『チョコレート粉砕機』に似ているが、もって非なるものを提案している。描写であれば崩れる心配はないが、実際にはこの形で留まることはなく、組み立てることさえままならない物であるに違いない。

 これを制作した意図は何か。
 機能の喪失、存在しているが、その目的を破棄し決して存在理由に届かない代物・・・悲劇である。争うこともなく沈黙しているが、明らかに嘲笑せざるを得ない存在としての『チョコレート粉砕機』(No.2)。
 見かけは《それらしい》が、《それ》にはなれない。一般に偽物といわれる範疇の模索を仕掛けている。

 有るが、無いも同然。『存在とは何か、価値(有意義)とは何か』』を秘密裏に吐露している。


 写真は『DUCHAMP』 www.taschen.comより


『国道の子供たち』31。

2021-07-28 06:03:36 | カフカ覚書

ぼくたちは汽車が動いて行くよりもはるかに速く歌い、声だけではたりなくて腕を振り回した、その声は騒々しく縺れ合い、ぼくたちはいい気持ちだった。自分の声が大勢の声に混ると、ひとは釣針にかかったように捉えられてしまうのだった。
 こうしてぼくたちは、森を背に、遠くの旅行者たちの耳に歌を送った。村では大人たちがまだ起きていて、母親たちは夜のためにベッドをととのえていた。


☆他の声も混ざり、先祖を圧迫する難点を捉えようと壁を背に、遠くの旅行者の耳に歌を送った。来世では大人たちがまだ起きていて母親たちは死のための床をととのえていた。