続・浜田節子の記録

書いておくべきことをひたすら書いていく小さなわたしの記録。

『飯島晴子』(私的解釈)尾長鳥の木。

2021-07-09 07:26:57 | 飯島晴子

   尾長鳥の木冬の唇散乱し

 尾長鳥の木はビ・チョウ・チョウ・モクと読んで、弥、調、庁、目。
 冬の唇はトウ・コウと読んで、納、申。
 散乱はサン・ランと読んで、散、乱。
☆弥(すみずみ)まで調べる庁(役所)の目(狙い)は、申(申告)が散(自由気まま/ばらばら/でたらめ)な乱れがあるからである。

 尾長鳥の木はビ・チョウ・チョウと読んで、美、蝶、眺、朴。
 冬の唇はトウ・シンと読んで、蕩、震。
 散乱はサン・ランと読んで、燦、爛。
☆美しい蝶を眺めると、朴(ありのまま)に蕩(揺れ動き)震(ふるえ)燦(きらめき)爛(輝いている)。

 尾長鳥の木はビ・チョウ・チョウ・モクと読んで、備、帳・調、黙。
 冬の唇はトウ・シンと読んで、統、新。
 散乱はサン・ランと読んで、三、覧。
☆備えた帳(ノート)で調(整えること)を黙っている。
 統(一筋にまとめた)新しい三つを覧(よく見ること)である。

※尾長鳥の尾の長さと同じ高さの木があちこちにある。(冬の唇はトウ・シンと読んで、等身)
 


『飯島晴子』(私的解釈)朝のまに。

2021-07-09 06:48:44 | 飯島晴子

   朝のまに髪の毛かゝる冬山川

 朝のまに(朝間)はチョウ・ケンと読んで、調、顕。
 髪の毛かゝる(髪毛掛)はハツ・モウ・カイと読んで、初、朦、皆。
 冬山川はトウ・サン・センと読んで、透、散、選。
☆調(整える)と顕(明らかになる)。
 初めは朦(おぼろである)が、皆(すべて)透(透けて見える)から散(自由気まま)に選ぶ。

 朝のまに(朝間)はチョウ・カンと読んで、兆、観。
 髪の毛かゝる(髪毛掛)はハツ・モウ・カイと読んで、醱、網、解。
 冬山川はトウ・セン・センと読んで、頭、旋、詮。
☆兆しを観(よく見ると)醱(かもすもの)がある。
 網(残らず鳥)解(部分部分に分け)頭を旋(巡らせると)詮(明らかになる)。

 朝のまに(朝間)はチョウ・ケンと読んで、帳、兼。
 髪の毛かゝる(髪毛掛)はハツ・モウ・カイと読んで、発、望、解。
 冬山川はトウ・セン・ヘンと読んで、答、閃、遷。
☆帳(ノート)には兼ねたものがあり、発(明らかになること)を望む。
 解(とける)答が閃くと遷(移り変わる)。

※空気の澄んだ朝、髪を梳いていると、冬の山川が見える。厳然と在る山川の水平に対し、梳くという垂直の縦の流れが交差する。

 


D『ローズ・セラヴィよ、何故くしゃみをしない?』7。

2021-07-09 06:18:45 | 美術ノート

 手のひらに収まるほどの小さな作品、鳥かごは《わたくし/デュシャン》に他ならない。わたしの中の違和感、混濁、混沌は、そのままわたくしである。

 角砂糖型の大理石は工場生産された等しい製品である。作られた衆、同じDNAを持つ連鎖の人たちに相違ない。しかし、突出・・・情報の変異は内的構造を変えることがある。

 四角い等しい見かけを持つ角砂糖型の大理石と、イカの甲や温度計の明らかに見かけに相違のあるものが同じであるはずがない。変異は長い歴史の中でごく自然である。にもかかわらず、除外の憂き目は避けられない。気づかれてはならない大いなる差異の秘密。

 同じ世界(鳥かご)で生きている、存在者としての同質。
 この『ローズ・セラヴィよ、何故くしゃみをしない?』は、いかにも不可解であり、意味のない物にしか見えない。捨てるしか値しない、むしろ、それが答えである。
 あえて送るのはカミングアウト、告白である。


 写真は『DUCHAMP』 www.taschen.comより