続・浜田節子の記録

書いておくべきことをひたすら書いていく小さなわたしの記録。

『飯島晴子』(私的解釈)鯉の尾の。

2021-07-16 07:14:05 | 飯島晴子

   鯉の尾のふゑゆきて父冷ゆる板戸

 鯉の尾はリ・ビと読んで、裏、備。
 ふゑゆきて父(殖行父)はショク・コウ・フと読んで、嘱、講、普。
 冷ゆる板戸はレイ・ハン・コと読んで、例、判、怙。
☆裏(物事の内側)には備(あらかじめ用意した)嘱(委ねる)講(話)がある。
 普く例(同じような仲間)の判(可否を定め)怙(頼りにする)。

 鯉の尾はリ・ビとよんで、莉、靡。
 ふゑゆきて父(殖行父)ショク・コウ・フと読んで、触、香、付。
 冷ゆる板戸はレイ・ハン・コと読んで、麗、繁、個。
☆莉(まつりか/ジャスミン)は靡(なびき)触れると香りが付く。
 (それぞれ)麗しく繁る個(一つ一つ)がある。

 鯉の尾はリ・ビと読んで、罹、備。
 ふゑゆきて父(殖行父)はショク・コウ・フと読んで、食、購、布。
 冷ゆる板戸はレイ・ハン・コと読んで、冷、凡、個。
☆罹(災難)に備え、食(食料)を購(買い入れること)を布(広く行き渡らせる)令(言いつけ)がある。
 凡(すべて)個(一人一人)に。

 鯉の尾はリ・ビと読んで、理、靡。
 ふゑゆきて父(殖行父)はショク・コウ・フと読んで、嘱、考、父。
 冷ゆる板戸はレイ・バン・コと読んで、霊、万、個。
☆理(物事の筋道)に靡(従い)嘱(委ねる)考えである。
 父の霊(死者の魂)は万(なんとしても/どうしても)個(弧/ひとり)でいく。


D『花嫁』

2021-07-16 06:35:50 | 美術ノート

   『花嫁』

 結婚式当日の、または結婚したばかりの女性の美称。在るが無いような微妙で一時的、すぐに霧消する仮の呼び名である。花嫁という美称は実態から浮いており、周囲に人の眼差しに他ならない。しかし、どこの国においてもこの美称は通用し、誰もが抱く感慨を孕んだ美称であり否定はない。

 その作品である。
 存在感はあるのに、地に着地しておらず、この流れの行方を図り知ることは困難である。既存の形、部分的には何かの形に似ているが、決定はない。疑似三次空間ではあるけれど、目的を持たない連鎖であり、単に《まことしやか》であるにすぎない。

 念の入った複雑な構成であるが、構成に意味がない。
 大いなる意味、誰もが思い描くことができる『花嫁』という言葉は、男女の連鎖がある限り通用する仮称である。
 この不思議さ。知っていて見たこともあると誰もが証言する『花嫁』。
 花嫁は女性に限るという制約ある言葉であるが、『花嫁』という美称は女性を通り抜けていき、決して長くは留まらない。

『花嫁』、憧憬をもって放たれる『花嫁』という言葉は、風や雲のように実測不能であり、動かぬ証拠を証明できないものである。デュシャンは鋭利な感覚をもって《言葉と物(実態)》を見つめている。


 写真は『DUCHAMP』 www.taschen.comより


『国道の子供たち』26。

2021-07-16 06:17:55 | カフカ覚書

「みんな、どこにいるの?」ー「こっちへ来いよ!」-「全員集合!」ー「なんで隠れるんだい、ばかな真似はよせよ!」ー「もう郵便馬車が通ったの知ってる?」ー「そうさ、きみが眠っているあいだに通っちゃったよ!」ー「ぼくが眠ってたって?嘘だよ、そんなの!」ー「だって、きみの顔にそう書いてあるもの。」ー「ぼくの顔に?」ー「さあ、行こう!」


☆「みんな、どこにいるの?」「こっちに来いよ」「みんな一緒に!」「なんで隠すんだい? 無意味だよ」「もう通信はすでに過ぎてしまった、知らないのか?」「まさか、もう過ぎ去ってしまったの?」「当り前さ、きみが眠っている間に行ったのさ」「わたしが眠っていたって? いやあ、そんなはずはない」「でも、見てごらんよ!」「では、頼むよ」「さあ、行こう!」