続・浜田節子の記録

書いておくべきことをひたすら書いていく小さなわたしの記録。

『飯島晴子』(私的解釈)山脈を。

2021-07-15 07:19:46 | 飯島晴子

   山脈を出る人露の薔薇古木

 山脈はセン・ミャクと読んで、遷、三訳。
 出る人露のはスイ・ジン・ロと読んで、推、腎、露。
 薔薇古木はショウ・ビ・コ・モクと読んで、章、備、己、黙。
☆遷(移り変わる)三訳(三つの訳)を推しはかることは腎(重要)である。
 露(現れる)章に備(あらかじめ用意してあること)を己(わたくし)は黙っている。
 
 山脈はサン・ミャクと読んで、算、脈。
 出る人露のはスイ・ジン・ロと読んで、遂、尽、漏。
 薔薇古木はショウ・ビ・コ・モクと読んで、招、弥、個、目。
☆算(見当をつける)脈(すじみち)を遂(やりとげる)。
 尽(全て)漏(もれ出る秘密)を招(呼び寄せる)。
 弥(すみずみ)まで個(一つ一つ)が目(ねらい)である。

 山脈はセン・ミャクと読んで、戦、脈。
 出る人露のはスイ・ジン・ロと読んで、衰、尽、露。
 薔薇古木はソウ・ビ・コ・モクと読んで、想、靡、枯、目。
☆戦いが脈(つづき)衰(勢いをなくし)尽(すべての無)を露(さらけ出した)。
 想(思いを巡らせ)靡(滅びた)枯(衰え)を目(見つめている)。


鈴木しづ子(私的解釈)甘へるより。

2021-07-15 06:57:43 | 鈴木しづ子

   甘へるよりほかにすべなし夾竹桃

 清廉に見える花の樹の強力な毒、燃やした煙にさえ毒素があるという。この枝を箸にお弁当を食べて死亡した記事を読んだこともある。

 この木だけは触れてはいけない、まして甘えるなんて存外。でも、わたしの中の悲しみは愁いなどというロマンの域ではない。

 毒を以て毒を制すというが、治療のための優しい毒では効かないほどの地獄。何をもってしてもこの残酷なまでの泥沼と手を結ぶことはできない。幾重にも重なる絶望感にどん底まで突き落とされているこのわたしと手を睦び、心を許せるものは死に至らしめるほどの毒を有した夾竹桃しか見当たらない。

 ああ、夾竹桃、夾竹桃にならば・・・。


D『急速な裸体に囲まれた王と女王』2。

2021-07-15 06:21:02 | 美術ノート

 裸体と王と女王、この三体を画面に捜すと、それとなく三つに分類できるものを当てはめることができるような気がする。あくまでも、そう見ようとする譲歩である。

 タイトルと画面は通常であれば、同意であり、関連を意識させ、納得を促すものである。しかし、ここには大きな溝、亀裂、無があり、鑑賞者を本来の意味に導こうとする意図が隠されている。
 本来の意味とは、意味はないという決定であり、意味を捜そうとする観念の打破である。まず、意味を見出そうとする識者の眼差しを笑っている。細部に至るまでの綿密な描写は、よく見るとバラバラに解体すべく明確なつながりを見いだせない。関連付け連鎖しているように見せかけてあるだけであるが、連鎖は必須と思う先入観が恰も合体しているもののように受け入れてしまうのではないか。

 観念の解体、通念への冷静な眼差しである。王も女王も裸で生まれ裸で死んでいく急速(短い時間/瞬間)だと、傍観している。みんな同じであり、皆バラバラという程に違ってもいる…矛盾は自然であり、しかも同列であるというデュシャンの激しくも切実な詩が潜んでいる。


 写真は『DUCHAMP』 www.taschen.comより


『国道の子供たち』24。

2021-07-15 06:12:51 | カフカ覚書

そして少年たちのひとりが両肘を両脇につけて、黒い足裏でぼくたちを跨いで、土手から道路に飛び出して行くと、ぼくたちはみな瞬きした。


☆そして先祖の傷痕を持つ若者のひとりが後ろへ下がることを検討すると、見えない足裏でわたしたちの上を追われて跳んで行くのを見たのは瞬きする間だった。