続・浜田節子の記録

書いておくべきことをひたすら書いていく小さなわたしの記録。

『飯島晴子』(私的解釈)冬麗の。

2021-07-08 07:32:33 | 飯島晴子

   冬麗の谷人形を打ち合はせ

 冬麗はトウ・レイと読んで、套、霊。h
 谷人形はコク・ジン・ケイと読んで、哭、尽、系。
 打ち合はせはチョウ・ゴウと読んで、弔、号。
☆套(覆われた)霊(死者の魂)に哭(大声で泣き悲しむ)。
 尽(すべて無くした)系(つながり)、弔(死者を悼む)号(叫び)がある。

 冬麗はトウ・レイと読んで、蕩、零。
 谷人形はコク・ジン・ケイと読んで、哭、尽、兄。
 打ち合はせはダ・ゴウと読んで、駄、傲。
☆蕩(すっかり失くして)零(落ちぶれた)と、哭(大声で泣き悲しむ)。
 尽(すべて無くした)兄の駄(値打ちの無い/つまらない)傲(おごりたかぶり)。

 冬麗はトウ・レイと読んで、頭、冷。
 谷人形はコク・ニン・ケイと読んで、克、認、計。
 打ち合はせはチョウ・ゴウと読んで、調、合。
☆頭を冷やし、克(十分)に認(見分ける)計(はかりごと)を調べ、合(一つにする)。

 冬麗はトウ・レイと読んで、討、冷。
 谷人形はコク・ニン・ケイと読んで、酷、人、経。
 打ち合わせはダ・ゴウと読んで、唾、拷。
☆討(責める)冷酷な人の経(つね)、唾(つばき)し、拷(責めて苦痛を与える)。


『飯島晴子』(私的解釈)親の目に。

2021-07-08 07:10:35 | 飯島晴子

   親の目に海鼠あふれてゐたりけり

 親の目はシン・ボクと読んで、真、目。
 海鼠はカイ・ソと読んで、解、組。
 あふれてゐたりけり(溢居)はイツ・キョと読んで、逸、拠。
☆真の目(ねらい)は解(問題を解く、理解する)にある。
 組(くみ合わせる)と逸(隠れた)拠(よりどころがある)。

 親の目はシン・ボクと読んで、身、撲。
 海鼠はカイ・ソと読んで、戒、粗。
 あふれてゐたりけり(溢居)はイツ・キョと読んで、溢、虚。
☆身(からだ)を撲(たたく)戒(いましめ)は粗(らんぼう)である。
 溢(程度が過ぎる)と虚(実が伴わない、虚しい)。

 親の目はシン・ボクと読んで、神、木。
 海鼠はカイ・ソと読んで、甲斐、素。
 あふれてゐたり(溢居)はイツ・キョと読んで、一、挙。
☆ご神木(神社の境内にある由緒ある木)の甲斐(効き目)は素(常々、日ごろ)の一(もっぱら)の挙(ふるまい/行動)にある。


D『ローズ・セラヴィよ、なぜ何故くしゃみをしない?』6。

2021-07-08 06:38:54 | カフカ覚書

 11.4×22×16㎝、鳥かごというにはあまりに小さい。手のひらサイズのカゴ、これは虫かごに相当する。しかし、あえて鳥かごいう真意は見る者のの観念/常識を揺さぶるものである。
 常識は通用しない、まず先入観を捨てよ!というメッセージは大前提である。

 角砂糖型の大理石の無造作な、しかし人工的な細工をほどこした物の集合、突き刺さるイカの甲、こちらは自然、あるがままである。イカの甲に比しての角砂糖型の大理石は貧相なほどに小粒であるが数の力がある。温度計は人為の叡智であるが、用途をもたない場に置かれている。

 つまりは総て無用の長物の集合にすぎないこの物への偏見、嘲笑は人の感想を待つまでもなく歴然としている。
 世界は需要と供給で成り立っている。不要なものの居場所はなく、除外・廃棄は決定的である。
「これを差し上げよう」
「・・・要らない」
 答えは最初から明白であったのだ、その通り!《これがわたくしデュシャンであります》排除の態、「ローズ・セラヴィはわたし」、「何故くしゃみをしない?」は、なぜ、本当のわたしでありえないのかという自問であり、周囲への自己説明であったのかもしれない。


 写真は『DUCHAMP』 www.taschen.comより


『国道の子供たち』19。

2021-07-08 06:20:44 | カフカ覚書

「降りて来い要!」ー「その前に上って来な!」ー「そしたら突き落そうというのだろう、いやなこった、そんなばかじゃないよ!」ー「ほんとうは、そんなに憶病だっていうことだろう。さあ、来いよ」ー「こいつら!ほんとに? ほんとに突き落せるつもり? あとで泣きっ面かいても知らないぜ!」


☆「下へ来いよ!」「最初に上っておいで」「それで私たちを投げ下ろすのか?」「わたしたちは落ちやしない」「ちゃんと分かっているんだよ」「意気地がないと言いたいんだろう」「ほんとうに投げ落とすつもり?」「見なけりゃいけないのか?」