続・浜田節子の記録

書いておくべきことをひたすら書いていく小さなわたしの記録。

『飯島晴子』(私的解釈)一月の。

2021-09-07 07:16:32 | 飯島晴子

   一月の黒い海藻踏む母たち

 一月はイツ・ガツと読んで、五、合。
 黒い海藻はコク・カイ・ソウと読んで、穀、皆、総。
 踏む母たち(踏母達)はトウ・ボ・タチと読んで、糖、模、質。
☆五合の穀(米)は皆、総て糖(炭水化物)の模(ありさま)の質である。

 一月はイツ・ゴウと読んで、逸、合。
 黒い海藻はコク・カイ・ソウと読んで、告、解、総。
 踏む母たち(踏母達)はトウ・ボ・タチと読んで、問う、簿、質。
☆逸(気楽)に合わせると告げる。
 解(バラバラにして)、総てを問う簿(書いたもの)の質(内容)である。

 一月はイツ・ゴウと読んで、逸、合。
 黒い海藻はコク、カイ、ソウと読んで、告、回、想。
 踏む母たち(踏母達)はトウ・ボ・タチと読んで、套、簿、質。
☆逸(隠れて)合(一緒になった)と、告げる。
 回想を套(覆った)簿(ノート)の質(内容)がある。


D『彼女の独身者たちによって裸にされた花嫁、さえも(大がらす)②

2021-09-07 06:52:57 | 美術ノート

 タイトルの見事な分解、崩壊、離散、不明によって《無》に帰したタイトル。しっかり書いてあり、一つ一つは意味があるのに羅列によって霧消させるという意図は何だろう。

 大ガラスの中には『花嫁』『チョコレート粉砕機』『9つの雄の鋳型』・・・。
 デュシャンの作品が封じ込められ、一体空間と化している。
 偶然、一瞬の切り取り、そして必然。すべてはっきりした限定、決定を受け入れないものばかりである。
 存在しているが、生産性はなく道理に矛盾しているこれらの主張は鋭利な眼差しで鑑賞者の脳天を突き刺す。『9つの雄の鋳型』に見る性の不確定、雄だと言っているがどこにも雄の証明はなく、雄というタイトルだけで雄を承認してしまう安易さ。

 総てが揺れ動いている。《現象》の一刹那である。


 写真は『DUCHAMP』 www.taschen.comより


『水仙月の四日』2。

2021-09-07 06:36:27 | 宮沢賢治

 雪婆んごは、遠くへ出かけて居りました。
 猫のやうな耳をもち、ぼやぼやした灰いろの髪をした雪婆んごは、西の山脈の、ちぢれたぎらぎらの雲を越えて、遠くへでかけてゐたのです。

 雪婆んごは《月の化身》であり、遠くは(現世)である。

 ひとりの子供が、赤い毛布にくるまって、

 ひとりの子供は、子供をシ・キョウと読んで、死境。死の境にいる人の意。
 赤い毛布は、セキ・モウ・フと読んで、晰、亡、訃。晰(明らかに)亡(死んでいる)訃(死の通知)を受けた人である。だから必ずしも子供ではなく、死の宣告を受け、生死の境界を彷徨っている人、魂である。


キヨちゃんの夏休み。

2021-09-07 06:17:56 | 清一朗

 息子のラインから清一朗ちゃんの作文が送られてきた、原稿用紙4枚の立派な作文。
小学六年生のキヨちゃんの日課が綴られていて、小三と小一の弟二人を学童保育に送ってゆき、再び午後四時半になると家を出て迎えに行くという日常である。

 二人はいたずら盛り。二人の間を行ったり来たりしながら、弟の荷物を預かっているので、中のお弁当が揺れて崩れはしないかと心配したりする様子。帰りは当然まっすぐ帰らず空き地になっている草地で虫取り、二人がバッタなんかを得意げに捕まえてくるのを待っている。
 大変だけれども、学童でのことを聞くのは楽しい、というお兄ちゃんぶり。

「お祖母ちゃんなんか、そのうち死んじゃうんだよ」と言ったら、大泣きしてくれた優しいキヨちゃん、大きくなったんだね。コロナのせいでもうずっと会えていないけど、作文を読んで感動したよ。ありがとう、おばあちゃんもガンバル!