続・浜田節子の記録

書いておくべきことをひたすら書いていく小さなわたしの記録。

『飯島晴子』(私的解釈)ひそひそひそと。

2021-09-09 07:25:51 | 飯島晴子

   ひそひそひそとすみれのひらく生写し

 すみれのひらく(菫開)はキン・カイと読んで、経、解。
 生写しはショウ・シャと読んで、章、謝。
☆経(つね)に解(部分部分に分ける)章を謝(詫びる)。

 すみれにひらく(菫開)はキン・カイと読んで、錦、絵。
 生写しはセイ・シャと読んで、製、叉。
☆錦絵の製(制作)は叉(分岐する/分業)である。

 すみれひらく(菫開)はキン・カイと読んで、訓、戒。
 生写しはショウ・シャと読んで、唱、者。
☆訓(教え導き)戒(事前に用意すること)を唱える者がいる。

※ひそひそ、ではなく(ひそひそひそ)としたことで、足元の小さな菫の花が咲く、その瞬間を目の当たりにした感動が伝わってくる。


D『大ガラス』をモチーフにした舞台。

2021-09-09 07:05:55 | 美術ノート

 不条理かもしれない、しかし条理であるという信念が感じられる。
 裸身の男女数名の視線は必ずしも一つを見ておらず、ただ佇んでいる。

 奇妙といえば奇妙な光景である、行動を起こすというのでもなく、自分の中に閉じている風で、それぞれの人とのかかわりを感じさせない。
 孤立、独身者?
 人は二人で世界を展く。独身者と言い切る孤立は関係性を断ち切っている。

 手前の『大ガラス』の作品群、着地なく浮遊の不安定さ、この落ち着きのなさは《生きて在る根本的な不安》に似ている。
 存在とは元来孤立しており、時間とともに移り変わる《現象》に過ぎないのかもしれない。
 静かなる告発である。哀愁、信念・・・いえ、強い主張である。


 写真は『DUCHAMP』 www.taschen.comより


『水仙月の四日』4。

2021-09-09 06:29:41 | 宮沢賢治

(そら新聞紙を尖ったかたちに巻いて、ふうふうと吹くと、炭からまるで青火が燃える。

 新聞紙はシン・ブン・シと読んで、信、紊、姿。
 尖ったかたちに巻いて、ふうふう吹くと(尖形巻吹)はセン・ケイ・カン・スイと読んで、浅、刑、検、推。
☆信仰の紊(乱れた)姿は、浅(あさはか・知識が乏しい)である。刑(罪をただして罰する)検(取り調べ)がある。

 炭からまるで青火が燃える(炭青火燃)はタン・セイ・カ・ネンと読んで、端、声、価、然。
☆端(物事の始まり/ことがら)からまるで声価(人や物に対する評判)が然(その通り)にあらわれる。