続・浜田節子の記録

書いておくべきことをひたすら書いていく小さなわたしの記録。

『飯島晴子』(私的解釈)藻のなかに。

2021-09-28 07:32:56 | 飯島晴子

   藻のなかにはげしく老いてゆく舟影

 藻のなか(藻中)はモ・チュウと読んで、母、衷。
 はげしく老いてゆく(激老行)はゲキ・ロウ・コウと読んで、撃、老、向。
 舟影はシュウ・エイと読んで、終、影。
☆母の衷(心の中)を撃(うつ)老いへ向かう終(死)の影。

 藻のなか(藻中)はモ・チュウと読んで、模、知友。
 はげしく老いてゆく(激老行)はゲキ・ロウ・コウと読んで、劇、労、恒。
 舟影はシュウ・エイと読んで、終、営。
☆模(手本)の知友は劇(はなはだしく)労(力を尽くして働く)。
 恒(つね)に終わりまで営(つくる)。

 藻のなか(藻中)はモ・チュウと読んで、模、沖。
 はげしく老いてゆく(激老行)はゲキ・ロウ・ギョウと読んで、劇、浪、業。
 舟影はシュウ・エイと読んで、衆、営。
☆模(ぼんやりしてよく見えない)が沖の劇(はげしい)浪には、業(生活のためにする仕事)の衆(人々)の営(仕事、いとなみ)がある。

 藻のなか(藻中)はモ・チュウと読んで、喪、中。
 はげしく老いてゆく(激老行)は劇ゲキ・ロウ・ギョウと読んで、激、浪、凝。
 舟影はシュウ・エイと読んで、集、影。
☆喪中に激(感情が激しく高ぶり)浪(寄りどことがなく)凝集(集まってひと固まりになっている)影がある。


『飯島晴子』(私的解釈)天の川。

2021-09-28 07:17:36 | 飯島晴子

   天の川禽獣の夢ちらかりて

※天の川銀河には、わし座、白鳥座、さそり座など禽獣の夢想がちらばっている。

 天の川はテン・センと読んで、展、詮。
 禽獣はキン・ジュウと読んで、襟、蹂。
 夢ちらかりて(夢散)はム・サンと読んで、無、惨。
☆展(ひらいて)詮(しらべる)と、襟(心の中)を蹂(踏みにじる)無(虚しい)惨(みじめ)がある。

 天の川はテン・センと読んで、典、選。
 禽獣はキン・ジュウと読んで、襟、自由。
 夢ちらかりて(夢散)はム・サンと読んで。謀、算。
☆典(根拠があって正しいこと)を選ぶ。
 襟(心の中)で自由に謀(はかりごと)に算(見当をつける)。

 天の川はテン・センと読んで、天、千。
 禽獣はキン・ジュウと読んで、金、事由。
 夢ちらかりて(夢散)はム・サンと読んで、無、燦。
☆天(自然)は千金(きわめて価値の高いこと)である。
 事由(事柄の理由)など無く燦(煌めいている)。


M『困難な航海』2.

2021-09-28 06:44:07 | 美術ノート

 雷電とどろく海上と穏やかだが非現実的かつ空疎な部屋、この二つの異世界が開口を介して繋がっている。

 大荒れの海、船は無事に目的地に着くだろうか。手前の部屋(来世)に着かざるを得ないのだろうか。開口から覗く景色は単に現実(現世)であり、浮世の荒波、困苦かもしれない。人生の悲哀、死に吞み込まれるような困窮、辛苦。

 活性、激動のエネルギーの放出は、来世(死)への航海の消費にすぎないのか。
 異世界(来世)の静けさ、辛うじて眼差しだけを留めたビルボケ(手足のない人型)が現世を見つめている。

 作家の眼差しは異世界(来世)の側にある。死んだ人への思いに身を委ね、作家自身の生きる荒海をビルボケ(母)と共に眺めている。
 公言不可であるが、母と共に在ることが唯一の安息のエリアだったかもしれない。

 写真は『マグリット』展・図録より


『水仙月の四日』15。

2021-09-28 06:13:41 | 宮沢賢治

『水仙月の四日』の時空を考えると、具体的な示唆は(大きな象の頭のかたちをした、雪丘)であり、(大きく招く祈りの形)だと解釈すると、舞台は《生と死の境界》であることが分かる。
 雪丘の裾、雪丘の上の方、象の形の丘からは(美しい町、川、停車場)が見える。この停車場は『銀河鉄道の夜』の停車場と同じであって、現世と来世の接点だと思う。

 地上ではあるが、景色の変移が幻想的で重力を感じさせない、重力のない世界、つまり現実から離れた時空であることが分かってくる。

 研きあげられたような群青の空から、まつ白な雪がさぎの毛のやうにいちめんに落ちてきました。

 雪雲は重く暗い、群青の空から雪がさぎの毛のように落ちてくるとは考えにくい。

 それは下の平原の雪や、ビール色の日光、茶いろのひのきでできあがつた、しづかな綺麗な日曜日を、一そう美しくしたのです。

(下の平原の雪や、ビール色の日光、茶いろのひのきでできあがった、しづかな日曜日)というのは下界/現世の景色、太陽を礎にした地球である。『水仙月の四日』の時空は本当の冥府(来世)と現世の中間を仮想してものだと思う。