続・浜田節子の記録

書いておくべきことをひたすら書いていく小さなわたしの記録。

『飯島晴子』(私的解釈)雉子山に。

2021-09-10 07:15:49 | 飯島晴子

   雉子山に逢ふ朝雨の人なりし

 雉子山はジ・シ・サンと読んで、自、死、惨。
 逢ふ朝はホウ・チョウと読んで、放、長。
 雨の人はウ・ジンと読んで、迂、尋。
☆自死は惨めである。
 放(送り出す)長(年長の人)は迂(遠回り)に尋(聞きただす)。

 雉子山はジ・シ・サンと読んで、慈、姿、産。
 逢ふ朝はホウ・チョウと読んで、朋、眺。
 雨の人はウ・シンと読んで、有、心。
☆慈(いつくしむ)姿の産(子供を産んだ)朋(友達)を眺めると、有心(情緒)がある。

 雉子山はジ・シ・サンと読んで、寺、祠。
 逢ふ朝はホウ・チョウと読んで、宝、彫。
 雨の人はウ・シンと読んで、烏、神。
☆寺の祠にも燦(きらきら光る)宝の彫(彫り物)の烏(カラス)の神がある。

※明治新政府は神仏分離令により寺と神社の区別がつけられたが、神仏混合時代の名残は完全には失われていない。
烏…八咫烏は太陽の中に棲む霊力を持つ烏)


D『回転ガラス板』

2021-09-10 06:49:55 | 美術ノート

   『 回転ガラス板』
 ペイントされた5枚のガラス板がメタルの軸を中心に回転し、1メートルほど離れて見ると一つの円が現れる。

 回転はそのものの実態を見えなくする、存在していたものが消えるという現象を引き起こす。存在しているが消失するという現象である。

 有ると信じているものが無い、転移・・・回転はエネルギーである、力の作用が見えていたものを打ち消す、有るべきものが隠蔽される。

 (有ることと無いこと)は表裏の関係性にある。
 有ることは正常であり、無いことの出現は異常とみなされる、この不条理を解く鍵はあるだろうか。デュシャンは静かに問いかけている。


 写真は『DUCHAMP』 www.taschen.comより


『水仙月の四日』5。

2021-09-10 06:15:24 | 宮沢賢治

ぼくはカリメラ鍋に赤砂糖を一つまみ入れて、それからザラメを一つまみ入れる。

 カリメラ鍋→カルマ(業)過。
 赤砂糖→赤はシャクと読んで、釈。砂はシャと読んで、赦。糖はトウと読んで、禱。
☆ぼくはカルマ(業の)釈(意味を解き明かす)と、赦(許し)と禱(祈り)を一つまみ入れる。

ほんたうにもう一生けん命、こどもはカリメラのことを考へながらうちの方へ急いでゐました。

 こども(子供→死境)、冥府と現世の境にいる人は一生けん命、カルメラ(カルマ/業)のことを考えながら現世の方へ急いでいました。(向こうへは行くまいぞ、生きよう!と)