続・浜田節子の記録

書いておくべきことをひたすら書いていく小さなわたしの記録。

『飯島晴子』(私的解釈)贅肉を。

2021-09-24 07:30:01 | 飯島晴子

   贅肉を炙れば青き芒たつ

 贅肉はゼイ・ニクと読んで、脆、難。
 炙れば青きはシャ・ショウと読んで、視野、章。
 芒たつ(芒立)はボウ・リツと読んで、防、立。
☆脆(壊れやすく)難(困難な)視野(思考・見解)の章である。
 防(あらかじめ用心し)立(成り立たせている)。

 贅肉はゼイ・ニクと読んで、贅、肉。
 炙れば青きはシャ・ショウと読んで、捨、象。
 芒たつ(芒立)はボウ・リュウと読んで、芒、留。
☆贅(よけいな)肉を捨てると、象(すがた)は芒に留まる。

 贅肉はゼイ・ニクと読んで、脆、肉。
 炙れば青きはシャ・ショウと読んで、捨、承。
 芒たつ(芒立)はボウ・リツと読んで、望、律。
☆脆(もろい)肉(血縁)は捨(ほおっておく)。
 承(相手の意を受け)望む律(きまり)がある。


M『桟敷席』2.

2021-09-24 07:00:43 | 美術ノート

 双頭の人は画面の前を向き、窓から劇場をのぞく少女は背中を見せている。この桟敷席は途方もなく続く広がりがあるのではないか。いわば、来世、冥府の広がりであり、桟敷席は現世と結ぶ接点、隔てると言った方がいいかもしれない。

 少女の髪の毛は腰まで伸びている。時間、ずっと長い時間現世(劇場)を見つめている、現世への執着に思える。
 一方、双頭の人物は男女の境を消失していく様ではないか。人間としての姿かたちを変形させていく時間の流れ…ここは相当に長い時間がゆっくり流れている。

 敢えて一つの案をいうならば、少女はマグリットの母であり、双頭の人物は彼女の父母(先祖)、現世に未練を残す少女は先に逝った父母に見守られているという図ではないか。天国へ行った母を一人にさせないマグリットの心情のような気がしてならない。

 そして常に母(少女)に見守られている自分であると。母は女であってはならず神聖なる少女のままの守り神であってほしいというマグリットの願いだと憶う。


 写真は『マグリット』展・図録より


『水仙月の四日』13。

2021-09-24 06:26:43 | 宮沢賢治

 雪童子は、風のやうに象の丘にのぼりました。

 雪婆んごは(略)ちぢれたぎらぎらの雲を越えて、遠くへでかけてゐたのです。

 雪狼は(略)空をかけまはりもするのです。

 雪童子、雪婆んご、雪狼は重力に無関係に流動する気体(目に見えないもの)であり、子供(死の境界を彷徨するもの)をめぐり、現世と来世を行ったり来たりする神的存在である。

 二疋の雪狼は(略)象の頭のかたちをした、雪丘の上の方をあるいてゐました。
 雪童子は、風のやうに象の丘にのぼしました。

 象はショウと読んで、招(手招き)、あの世へ招く入り口ではないか。

※すべて二重の風景である賢治の作品、現世における救済、来世からの救済の二つが重なり合う構成だと思う。