続・浜田節子の記録

書いておくべきことをひたすら書いていく小さなわたしの記録。

『飯島晴子』(私的解釈)泊船に。

2021-09-29 07:26:12 | 飯島晴子

   泊船に真近く夏の唇とほる

 泊船はハク・センと読んで、帛、染。
 真近くはシン・キンと読んで、新、巾。
 夏の唇とほる(夏唇通)はカ・シン・ツウと読んで、果、浸、痛。
☆帛(白い絹布)を染める。
 新しい巾(布)は果(予想した通り)浸(染める水のしみ込み)が痛(はげしい)。

 泊船はハク・センと読んで、泊、薦。
 真近くはシン・キンと読んで、親、近。
 夏の唇とほる(夏唇通)はカ・シン・ツウと読んで、加、進、通。
☆泊(とまること)を薦める親近(身内)、加(仲間に入り)進んで通(行き来する)。

 泊船はハク・センと読んで、白、千。
 真近くはシン・キンと読んで、辛、禁。
 夏の唇とほる(夏唇通)はカ・シン・ツウと読んで、過、心、痛。
☆白(申し上げる)と、千(たくさん)の辛い禁(いましめ)。
 過(あやまち)の心情がある。


M『困難な航海』3.

2021-09-29 06:45:29 | 美術ノート

 室内と窓外はつながっていないが、繋がっている。室内は現世の記憶を残した形であるが、機能、活性がない。ビルボケなどは倒れることが必至の傾きであり、それとない不安を潜ませている。
 光源はどこにあるのか分からないが、影は微妙に方向を違えている。

 窓外は嵐であるが、室内は開放されており風を感じるのは舞い上がったカーテンだけである。カーテンが揺れ動けば板戸も倒れ、ビルボケも脆弱な卓も倒れるという結果が予想されるが、室内は無風の静寂と不思議な明るさで満ちている。

 ゆえに、室内と窓外は異空間であり、直結はない。荒れ狂う海、横倒しの船の惨状、生命の危機は逼迫している。

 ビルボケのいる室内は明らかに現世ではない。卓も微妙に歪んでおり、卓の上の手や鳩はゆっくり落下していくことを孕んでいる。しかし、多分、ここには然るべき時空の法則が欠如しており、次の瞬間などと言うものが無いのかもしれない。
 室内のそれぞれが、かつての記憶を残したまま長い時間をかけて無に帰していく旅の途中なのだという景に思えてならない。

 写真は『マグリット』展・図録より


『水仙月の四日』16。

2021-09-29 06:13:42 | 宮沢賢治

 雪婆んご、雪童子、雪狼、雪丘、雪花石膏、雪けむり・・・。
 雪に秘めた景色は何だろう、雪であることの意味。この説(話)全体は、生死の境界、架空の時空である。雪は折(わける/しぬ)を隠した景色(言葉)ではないかと思う。
 死の婆、死の導師(仏・菩薩)、死の大神、死の丘、死の花、死のけむり・・・。

 象の形の丘(略)その頂には、一本の大きな栗の木が、美しい黄金いろのやどりぎのまりをつけつけて立ってゐました。

 美しい黄金のやどりぎ、やどりぎは宿、一時的に身を置く鬼(死者/亡霊)。
 まりは、まり(球)→たま(魄)。
 栗の木、栗はnutからnat、notを暗示しており、(否定、無)、無いけれども有るというニュアンスではないか。