続・浜田節子の記録

書いておくべきことをひたすら書いていく小さなわたしの記録。

『飯島晴子』(私的解釈)襖しめて。

2021-10-08 07:26:10 | 飯島晴子

   襖しめて空蝉を吹きくらすかな

 襖しめて(襖閉)はオウ・ヘイと読んで、往、平。
 空蝉はクウ・センと読んで、空、閃。
 吹きくらす(吹暮)はスイ・ボと読んで、彗、模。
☆往(人が死ぬ)のは平(平等)である。
 空に閃(きらきら光る)彗(ほうき星)の模(よう)である。

 襖しめて(襖閉)ハオウ・ヘイと読んで、横、柄。
 空蝉はクウ・センと読んで、空、浅。
 吹きくらす(吹暮)はスイ・ボと読んで、酔、模。
☆横柄(威張って他人を軽く見る態度をとるさま)は空(むなしい)。
 浅はかで酔(酒などで心身が正常でなくなる)模(ありさま)である。

 襖しめて(襖閉)はオウ・ヘイと読んで、枉、弊。
 空蝉はクウ・テイと読んで、空、態。
 吹きくらす(吹暮)はスイ・ボと読んで、衰、暮。
☆枉(無実の罪)に弊(疲れる)。
 空(根拠がない)態(ありさま)は、衰(勢いがなくなり)暮(理性を失いどうしてよいのか分からない状態)になる。


M『天才の顔』2.

2021-10-08 07:12:51 | 美術ノート

 純白な仮面の石膏像は板の上にあるが、板そのものの着地が定かでない。中空に浮いているようでもある。
 顔は少なくとも笑ってはおらず、苦悩を秘め、唇はしっかり閉じられているというのではなく何か余韻を残している。しかし、すでにこれ以上発言はなく、永遠に不問に伏している。

 漆黒のビルボケ、背後の闇・・・ただ顔と板(時間/時空)だけに光が当たっている。この違和感、この不穏。

 疑問は解決の術をもたず、ただあるがまま、感じたままの感想をここに表記した作品だと思う。天才に対し抗う術は皆無である。

 写真は『マグリット』展・図録より


『水仙月の四日』23。

2021-10-08 06:48:11 | 宮沢賢治

 すると、雪もなく研きあげられたやうな群青の空から、まつ白な雪が、さぎの毛のやうに、いちめんに落ちてきました。それは下の平原の雪や、ビール色の日光、茶いろのひのきでできあがつた、しづかな綺麗な日曜日を、一そう美しくしたのです。   
 子どもは、やどりぎの枝をもつて、一生けん命あるきだしました。

 雪もなく研きあげられたやうな群青の空からまつ白な雪がさぎの毛のやうに…。
 紺碧の空からまつ白(ハク→魄)な雪(死)が、さぎの毛(さぎ/snowy heron)、雪(死)のように落ちてきました。
 下の平原の雪(死)やビール色の日光(ビール色の日光は異様)茶いろのひのき(sun tree)ひのきは常緑、これらでできあがった(しずかな日曜日)はすでに現世とは異質である。

 子どもは、やどりぎ(一時的に身を置く鬼)の枝(死)をもって、一生けん命あるきだしました。
《子供→こども→子ども》は(死境→現世→現世から死境)への微妙かつ大胆な変化を提示している。