続・浜田節子の記録

書いておくべきことをひたすら書いていく小さなわたしの記録。

『飯島晴子』(私的解釈)秋の婿。

2021-10-21 07:08:25 | 飯島晴子

   秋の婿城照らす燈真青に

 秋の婿はシュウ・セイと読んで、衆、生。
 城照らす燈はジョウ・ショウ・トウと読んで、常、照、燈。
 真青はシン・セイと読んで、新、生。
☆衆(大勢の人)の生(命)は常に照(あまねく光が当たる=平等)である。
 等しく新しく生まれたものである。

 秋の婿はシュウ・セイと読んで、師友、棲。
 城照らす燈はジョウ・ショウ・トウと読んで、浄、衝、棟。
 真青はシン・ショウと読んで、浸、床。
☆師友の棲(住まい)を浄(きれいにする)。
 衝(かなめ)は棟(建物)の浸(水がしみ込んだ)床である。

 秋の婿はシュウ・セイと読んで、周、星。
 城照らす燈はジョウ・ショウ・トウと読んで、常、衝、当。
 真青はシン・ショウと読んで、真、消。
☆周(ぐるりと回る)星の常、衝(外惑星が地球から見て太陽と正反対の方向にほぼ一直線に並んだ状態)に当たるのは真(本当)であるが、消(消えて見えない)。


M『喜劇の精神』2.

2021-10-21 06:38:12 | 美術ノート

 喜劇・・・観客を愉快にさせる劇(仕事)である。
 自分の中のエネルギーを燃やし、自分を無にして臨む。自分の本当の姿は見せない。

 紙切れのように所在なく立つ穴の開いた人型(シルエット)、しかし足元の片方は地(床)にめり込んでいる。つまり坂の上に立つ人型は転倒を余儀なくされるはずだが、顔は反対側を向き体は垂直に立っている。
 これは相当なエネルギー消費である。死力を尽くして、平然としていると言ってもいいかもしれない。

 四方(上下左右)に連鎖(解放)された精神の広がり。見かけはごく軽い風情であるが、『喜劇の精神』は過酷を踏まえた超人の技(仕事)である。

 写真は『マグリット』展・図録より


『水仙月の四日』31。

2021-10-21 06:22:17 | 宮沢賢治

「ひゆう、ひゆう、さあしつかりやるんだよ。なまけちやいけないよ。ひゆう、ひゆう。さあしつかりやつてお呉れ。今日はここらは水仙月の四日だよ。さあしつかりさ。ひゆう。」

 ひゆう→非有。
 今日は水仙月の四日だよ→今日、限定である。
 水仙の咲くころ(晩秋から初春がろまで)。
 四日、朔日の月は見えない。三日、あるいは四日の月は地平線から垂直に舟の形になる。
☆非有(存在の否定)、非有(存在を失くす)、さあ、しっかり、現世の姿を消すんだよ、なまけちゃいけない。非有(存在=生を消す)、非有(向こうへ送る)、さあ、しっかりやっておくれ。今日はこの辺りの月は水仙月の四日(死の日)だよ。