続・浜田節子の記録

書いておくべきことをひたすら書いていく小さなわたしの記録。

『飯島晴子』(私的解釈)金管器。

2021-10-12 06:59:38 | 飯島晴子

   金管器あつまつてくる影の池

 金管器はキン・カン・キと読んで、近、刊、企。
 あつまつてくる(集来)はシュウ・ライと読んで、終、頼。
 影の池はエイ・チと読んで、営、致。
☆近刊(近いうちに出版する)企(計画)がある。
 終わりは頼(他者の助けを期待して)営(つくり)致(いきつかせる)。

 金管器はキン・カン・キと読んで、襟、貫、記。
 あつまつてくる(集来)はシュウ・ライと読んで、終、磊。
 影の池はエイ・チと読んで、詠、千。
☆襟(心の中)で貫(最後までやり抜く)記である。
 終わりまで磊(小さなことにこだわらない)で詠む千(数多)がある。

 金管器はコン・カン・キと読んで、婚、勧、期。
 あつまつてくる(集来)はシュウ・ライと読んで、周、磊。
 影の池はエイ・チと読んで、永、知。
☆婚(結婚)を勧(すすめること)を期(願う)周(まわり)。
 磊(小さなことにこだわらない)で永(末長く)知(相手を知ること)である。

 金管器はキン・カン・キと読んで、金、歓、喜。
 あつまつてくる(集来)はシュウ・ライと読んで、衆、頼。
 影の池はエイ・チと読んで、栄、質。
☆金の歓喜、衆(みんな)頼りにした栄(輝かしい)質(内容)であった。


M『冒険の衣服』

2021-10-12 06:22:49 | 美術ノート

   『冒険の衣服』

 白いベールに覆われた裸婦が両手を上にあげて横たわっている。この両手は招いているのか拒否しているのかの判別は不明である。
 上空にはオサガメが女とは逆の方向を向いて泳いでいる。

 ここは、海底なのだろうか。幾層もの板が重なっているのは地層だろうか。億年の眠りの中で女が求めているもの、あるいは拒否しているもの…生々しさはなく清冽な印象である。しかし、あくまで裸婦である。

 オサガメは男? 自由に浮遊しているが手足は不足であり、人間の女に接する術をもたない。この関係性は条理を外している。海底に沈みこんだ女の生死は?生きる条件を外した相に生きるということは、すでに幻であり、寓話の世界である。

 女の着衣は薄衣で無防備である。
 男(オサガメ)は鋭く硬い甲羅で、まるで戦闘服のようであるが、元来着衣など無い生き物である。
『冒険の衣服』(大胆な企て)とは何だろう。女は生きているが死んでいる、不自由である。男は女に関心を持たず、活性の自由を生きている。
 通常抱く観念的な見解(感想)からいえば、意思疎通のない男と女の風景である。
 この関係を暴く、大胆な構想である。


 写真は『マグリット』展・図録より


『水仙月の四日』24。

2021-10-12 06:08:00 | 宮沢賢治

 けれども、その立派な雪が落ち切つてしまつたころから、お日さまはなんだか空の遠くの方へお移りになつて、そこのお旅屋で、あのまばゆい白い火を、あたらしくお焚きなされてゐるやうでした。

☆尊い死が来世に向かい切ってしまったころから、太陽(来世への門)は遠くに移り、そこのお旅屋(死の魄が一時的に留まるところ)であのまばゆい魄の禍(わざわい)を新しく燃やして(消去)しているようでした。

 そして、西北の報からは、少し風が吹いて来ました。

 西北は乾、天。
 少しはショウと読んで、照(あまねく光が当たる=平等)
 風は、教え。
☆そして、天の方からは平等の教えが降りてきました。