続・浜田節子の記録

書いておくべきことをひたすら書いていく小さなわたしの記録。

秋である。

2021-10-29 07:31:40 | 日常

 秋である、悲しいまでに秋である。
 膝痛のためにびっこを引き歩いており、とても長くは歩けない。日常はリハビリと心得て、階段の上り下り家事全般を無理を承知で頑張っている。がんばりすぎた日は悲鳴を上げて悲しんでいる。

 仕方ないね、もうダメかも…悲しい未来が過る。サークルへはとりあえず出かけてみんなの元気を頂いている。
「わたし、薬は毎日16錠」
「あら、わたしなんか20錠」
「わたし、痩せたわ、60キロあったのに、今は35キロを切ったの」
「・・・」

 それぞれの会話は物悲しいけど、明るく笑い飛ばしている。35年続くサークル、そりゃあ年も取り、不具合も出る。
「誰それさん、亡くなったって」
「淋しいね」

 秋は色濃く、寂しい。


『飯島晴子』(私的解釈)少年の。

2021-10-29 07:12:17 | 飯島晴子

   少年の川にまつはる冬雲雀

 少年はショウ・ネンと読んで、匠、粘。
 川にまつはる(川待春)はセン・タイ・シュンと読んで、専、対、竣。
 冬雲雀はトウ・ウン・ジャクと読んで、到、薀、若。
☆匠(たくみ)の粘りで専(ひたすら)対(向かい合って)竣(出来上がる)。
 到(いたり尽くす)のは、薀(奥義)の若(ごとし)。

 少年はショウ・ネンと読んで、章、捻。
 川にまつはる(川待春)はセン・タイ・シュンと読んで、専、替、悛。
 冬雲雀はトウ・ウン・ジャクと読んで、問う、運、若。
☆章(文章)を捻り、専(ひたすら)替(入れかえる)。
 悛(過ちを正し)問う、運(めぐり合わせる)若(ごとし)。

 少年はショウ・ネンと読んで、止揚、念。
 川にまつはる(川待春)はセン・タイ・シュンと読んで、宣、対、峻。
 冬雲雀はトウ・ウン・ジャクと読んで、統、云、若。
☆止揚(アウフヘーベン)の念(考え)を宣(述べる)。
 対(向かい合うもの)を峻(厳しく)統(一すじにまとめる)若(ごとし)。


M「『嵐の装い』4.

2021-10-29 06:51:49 | 美術ノート

   『嵐の装い』

 難破船(多くの死者)を迎える冥府での装い(礼服)。
 ここに感情はない、ただ空漠とした光景に鑑賞者はそれぞれの想いを募らせる。作家(マグリット)の眼差しは二つにつないだ世界をさらに遠くの視点から客観視している。作家は難破船(現世)の側の存在者だが、来世、亡くなった母親(死者)の視線に寄り添っている。

 生きることは辛苦の渦中、難破船の宿命に酷似している。あの難破船の中にわたし(マグリット)はいる、と。暗い海に光はないが、母がいるであろう来世にはきっと光が射しており、その礼装は、無限に広がる世界(慈愛)を刻んだものに違いない。

 マグリットは自分(難破船)を見つめ、苦笑しているかもしれない。

 写真は『マグリット』展・図録より


『水仙月の四日』37。

2021-10-29 06:33:47 | 宮沢賢治

峠の雪の中に、赤い毛布をかぶつたさつきの子が、風にかこまれて、もう足を雪から抜けなくなつてよろよろ倒れ、雪に手をついて、起きあがらうとして泣いてゐたのです。

 峠は、現世と来世の境目(境界)。
 赤い毛布は、赤はシャクと読んで釈(意味を解き明かす、事情を説明する)毛布はモウ・フと読んで、亡、訃。
 倒れはトウと読んで、禱。
 起きあがる(起上)はキ・ショウと読んで、鬼、生。
 泣くはキュウと読んで、救。
☆生死の境界で死の知らせを受けた子(死者)が、風(教え)をうけて、もう悪いことを死界に取られ、すがるように禱(祈り)、鬼(死者)に生まれ変わろうとすることに救いを求めていたのです。