続・浜田節子の記録

書いておくべきことをひたすら書いていく小さなわたしの記録。

『飯島晴子』(私的解釈)芦の花。

2021-10-18 07:13:13 | 飯島晴子

   芦の花童に熱き闇ありぬ

 芦の花はアシ・カと読んで、悪、過。
 童に熱きはドウ・ネツと読んで、慟、熱。
 闇ありぬ(闇有)はアン・ユウと読んで、闇、宥。
☆悪の過(あやまち)、慟(身もだえして悲しむ)。
 熱くなって闇(不法なこと)を宥(大目に見てしまった)。

 芦の花はヨシ・カと読んで、好、夏。
 童に熱きはドウ・ネツと読んで、如何、熱。
 闇ありぬ(闇有)はアン・ユウと読んで、晏、憂。
☆好(心惹かれる)夏は如何(いかが)ですか。
 熱いまま晏(日が暮れる)憂いがある。

 芦の花はアシ・カと読んで、アシカ。
 童に熱きはドウ・ネツと読んで、童、熱。
 闇ありぬ(闇有)はアン・ユウと読んで、行、有。
☆アシカは童(子供)を熱(夢中にさせる)行(演技)が有る。


M『一夜の博物館』2.

2021-10-18 06:55:02 | 美術ノート

 四つに仕切られた箱の中、上段は手首、腐食しつつある果実。死と死に至る手前…。
 下段は不特定な石(鉱物)らしきものと内部を隠蔽した切り紙細工模様の紙(平面)。死を特定できない物である。

 自然・歴史などの過去の経由、それらの資料の蒐集であるべき博物館。
 一夜ということは光の無い時間帯ということで、幻、非現実(仮想)ということかもしれない。その必然性は明らかに知り得るものと、決して知り得ないものとの並置によって浮上する《無常観》ではないか。

 見えているが、見えていない深淵なる深層心理。作家は鑑賞者に解釈は自由に委ねるが、決して答の見つからないであろう難問を吹きかけたのである。
 そして、見つからないものこそが《現実》であると。


『水仙月の四日』28。

2021-10-18 06:22:31 | 宮沢賢治

 丘の稜は、もうあつちもこつちも、みんな一度に、軋るやうに切るやうに鳴り出しました。地平線も町も、みんな暗い烟の向ふになつてしまひ、雪童子の白い影ばかり、ぼんやりまつすぐに立つてゐます。

 丘はキュウと読んで、救。
 稜はリョウと読んで、霊。
 軋るはgrate→great/偉大。
 切るhafinish/終わる。
 鳴り出しましたはring/円、輪。
 烟はエンと読んで、掩。
 白い影はハク・エイと読んで、魄、衛。

☆救いの霊はみんな偉大であり終わる(死)ように輪になりました。地平線も町(現世)はみんな暗く掩(隠れてしまい)、死の導師の魄の衛(守り)ばかり、ぼんやりまっすぐ立っています。