続・浜田節子の記録

書いておくべきことをひたすら書いていく小さなわたしの記録。

粗野、がさつ・・・。

2022-01-07 07:30:16 | 日常

 何をするにもがさつで粗野である。冬の期間だけ生ごみを土に埋めている、一年を通して下水管の通り具合を月一でチェックする等々、菌類の集合エリアを素手で触っている。
 新年明けたころから、手が痒い、皮がむけ初め赤い皮膚が…、医者は四日から。
(なんか、ヘン)日増しにどころか時間を追って急激に皮がむけ赤い皮膚が見える範囲が広がった。

 四日、皮膚科へ。十時に待合室の椅子に座って十三時まで、ひたすら座り続けやっと往診。
「水虫菌はいません、感染ですね」と医者。ホウホウの態で帰宅すると、薬局で頂いた塗り薬、まったく同じものがある。
(そうだ、何年か前、やっぱり・・・ああ)

 右手指なので、もう数日間、顔を洗っていない。顔をタオルで撫でている猫状態。
♪猫になったんだよ、わたしは~って感じ。

「心配ですからもう一度、七日にでも見せに来てください」とのこと。再びあの待合室で・・・ああ。
 まぁ、明るく楽しくいきましょう。


『飯島晴子』(私的解釈)梅の花。

2022-01-07 06:59:17 | 飯島晴子

   梅の花にんげんの皮がさがさと

 梅の花はバイ・カと読んで、媒、化。
 にんげんの皮(人間皮)はジン・ゲン・ヒと読んで、腎、言、比。
☆媒(なかだち)は化(形、性質を変えて別のものになる)である。
 腎(重要なの)は言(言葉)を比(並べて比べること)である。

 梅の花はバイ・カと読んで、黴、禍。
 にんげんの皮(人間皮)はジン・ゲン・ヒと読んで、尽、幻、疲。
☆黴(かび)は禍(わざわい)である。
 尽(全て無くすこと)は幻(まぼろし)であり、疲れる。

 梅の花はバイ・カと読んで、倍、果。
 にんげんの皮(人間皮)はニン・ゲン・ヒと読んで、任、現、秘。
☆倍(多くなる)果(結末)を任(まかせる)。
 現(隠れていたものが表れる)こと)を秘(隠している)。

 梅の花はバイ・カと読んで、狽、家。
 にんげんの皮(人間皮)はニン・カン・ヒと読んで、人、関、秘。
☆狼(慌てた)家人、関(門を閉めた)秘(人に見せないように)がさがさと。


M『弁証法礼讃』

2022-01-07 06:33:50 | 美術ノート

   『弁証法礼讃』

 窓の中(室内)に建屋がある。
 小の中に大は侵入不可であり、物質界に於いて決して成立し得ない理論に他ならない。
 矛盾、子供が大人を産むこともないし、世界が我が家に侵入することもない。
 しかし、わが太陽などと言う。太陽が一個人の中に入り込むことは無いのは周知の事実であるが、比喩的には許される表現であり一般的でさえある。

《世界の中のわたし、わたしの中の世界》という表現に矛盾を感じる人はいない。
 物質界で矛盾することも、精神界においては許可される。
 人として勝ち得た【表現の自由】をこそ賛美、礼讃されるべきものである。

 写真は『マグリット』展・図録より


賢治『春と修羅』4.

2022-01-07 06:16:06 | 宮沢賢治

  ZYPRESSEN 春のいちれつ
   くろぐろと光素を吸い
    その暗い脚並からは
     天山の稜さへひかるのに
     (かげろふの波と白い偏光)
     まことのことばはうしなはれ
    雲はちぎれてそらをとぶ

☆ハロー(光輪)の講(話)である。
 蘇(よみがえり)を求める案(考え)を書き、蔽(見えないようにしている)。
 展(大きく広がる)Sun(太陽)、霊(死者の魂)を把(手につかみ)迫る。
 片(二つに分けたものの一方)の講(話)は薀(奥義)である。