続・浜田節子の記録

書いておくべきことをひたすら書いていく小さなわたしの記録。

『飯島晴子』(私的解釈)纏足の。

2022-01-11 07:17:16 | 飯島晴子

   纏足の尖はるかなり夏の湖

 纏足はテン・ソクと読んで、諂、惻。
 尖はるかなり(尖遥)はセン・ヨウと読んで、賤、様。
 夏の湖はカ・コと読んで、過、拠。
☆諂(へつらうこと)を惻(悲しむ)のも賤(さげすむ)様(ようす)も過(あやまち)に拠(よる)。

 纏足はテン・ソクと読んで、纏、塞。
 尖はるかなり(尖遥)はセン・ヨウと読んで、旋、葉。
 夏の湖はカ・コと読んで、果、枯。
☆纏(絡まりついて)塞(遮るもの)も旋(ぐるぐる回る)葉も、果ては枯れてしまう。

 纏足はテン・ソクと読んで、纏、足。
 尖はるかなり(尖遥)はセン・ヨウと読んで、専、用。
 夏の湖はカ・コと読んで、靴、固。
☆纏足専用の靴は固い。

※夏の湖で見た纏足の足先は尖っていた。遥か昔、他国(中国)の習わしである。


M『アルンハイムの地所』

2022-01-11 06:38:28 | 美術ノート

   『アルンハイムの地所』

 翼を広げた鳥の形態をした山、二十六日の月・星空、人家のブロックに置かれた三個の卵・・・。この三体は画面中央に垂直に配されている。

 卵は(誕生)を、二十六日の月は(消えかかる月/死)を、鳥の形態の山は(生命)を暗示しているかもしれない。二十六日の月が星空に南中することはないし、あたかも山(物質)が卵(生物)生むような連想をさせる錯誤の時空間、つまり、決して有り得ない状況を設定したのである。

繰り返される生と死の循環、壮大な時間の断片の啓示。神がいるとしたら・・・仮定の場所である。 

 写真は『マグリット』展・図録より


賢治『春と修羅』5.

2022-01-11 06:27:30 | 宮沢賢治

     ああかがやきの四月の底を
    はぎしり燃えてゆききする
   おれはひとりの修羅なのだ

☆死を合わせた諦(真理)の念(考え)が、衆等(みんな/わたし達)である。
(すべてがわたくしの中のみんなであるやうに
 みんなのおのおののなかのすべてですから)『序』より