続・浜田節子の記録

書いておくべきことをひたすら書いていく小さなわたしの記録。

今日の予定。

2022-01-29 07:19:43 | 日常

 この状況である、てっきりイベントは中止だと思っていたら実施とのこと。

 テンションはだいぶ下がったけれど、今日一日は紙芝居講演で過ごす。わたしの実演時間はほんの6分ほどだけど窓の開け閉め(換気)やら消毒やらで忙しいことになりそう・・・。

 いつも通りに過ごすというスタンス、だから朝のラジオ体操も中止することなく続いている。コロナの猛威、いつまで続くんだろう。
 コロナ禍の疫病蔓延、何か見えない鎖で拘束されているような感じである。老若男女、だれにとっても辛い経験である。


 わたしが演じる紙芝居は矢崎節夫・作の「はるのにおいがするよ」。
 早く本当の春(収束)が来るといいな、と願っている。

 


『飯島晴子』(私的解釈)上の池。

2022-01-29 06:53:30 | 飯島晴子

   上の池下の池とてひぐらしの

 上の池はショウ・チと読んで、衝、千。
 下の池はカ・チと読んで、荷、知。
 ひぐらし(蜩)はチョウと読んで、兆。
☆衝(重要)なのは千(たくさん)荷(身に引き受けること)である。
 知(心に感じる)兆(きざし)がある。

 上の池はショウ・チと読んで、章、質。
 下の池はカ・チと読んで、化、致。
 ひぐらし(蜩)はチョウと読んで、調。
☆章の質(内容)は化(形、性質を変えて別のものになる)で致(行き着かせ)調(整える)。

 上の池はジョウ・チと読んで、情、痴。
 下の池はカ・チと読んで、過、恥。
 ひぐらし(蜩)はチョウと読んで、懲。
☆情痴(色情に溺れて理性を失うこと)の過(あやまち)は恥ずかしい。
 懲(過ちを繰り返さないようにこらしめる)。

 上の池はショウ・チと読んで、止揚、質。
 下の池はカ・チと読んで、加、知。
 ひぐらし(蜩)はチョウと読んで、調。
☆止揚(アウフヘーベン)の質(内容)は加(その上に重ねる)知(物事を考える能力)で調(整えること)である。


吉川宏志(私的解釈)鳥の見しものは。

2022-01-29 06:19:34 | 吉川宏志

 鳥の見しものは見えねばただ青き海のひかりを胸に入れたり

 ずっと向こうに見える鳥、彼が見たものは何だろう。知る術もなく鳥を傍観している。
 そしてわたしは、ただ青い海のひかりを胸に収めている。

 鳥と海との交錯する空間距離。見るというのは直線的時空である。鳥の見ている方向と、わたしの鳥を見る視界が一致することは無い。

 鳥は他者である。万人それぞれが異なる視野で異なる対象をまなざしに収めている。小さな目という器官に絶対の信頼を置いているが、それぞれ各人もって非なる世界を見つめており、潜在意識に合致はない。
 現象は揺らぎ転移する。動く雲の如くであれば、それぞれが見る現象には差異、あるいは隔絶が生じる。

 鳥の見しものを推しはかる術なく、わたしは海のひかり(光そのものは見えない)を胸に入れたという認識。
 あるがままの存在を肯定し、海のひかり(見えているようで見えていない実態を把握しがたい対象としての雰囲気)を心象風景として胸に刻んだことである。