続・浜田節子の記録

書いておくべきことをひたすら書いていく小さなわたしの記録。

吉川宏志(私的解釈)夕暮れの。

2022-01-21 09:17:34 | 吉川宏志

 夕暮れの梅林行けば木の影と人の影とがすり変りたり

 夕暮れの梅林。さほど高くない梅の木の連立、夕暮れ、影を認めるほどの時刻である。(ならばマジックアワーの瞬間にも近いかもしれない)

 木の影が人の影のようだ、と言うのではなく、(すり変わりたり)と言っている。
 相が変わる、抽象的な空気の層の変容。しかし、物理的変化ではなく、精神的変容・・・梅の木のうねり、この曲線に人の影を見る。確かにわたくしの心を強く刺激してやまない、心の底に揺れる幻影が立ち現れたのだ。

 静かに暮れていく梅林のなか、わたくしは愛しい人影に遭遇した。
 この秘かな喜悦が胸に去来した梅林の夕暮れである。


『飯島晴子』(私的解釈)楊桃の。

2022-01-21 07:19:19 | 飯島晴子

   楊桃の夜なかの道を行くといふ

 楊桃はヨウ・トウと読んで、羊、頭。
 夜なかの道(夜中道)はヤ・チュウ・ドウと読んで、也、知友、導。
 行くといふ(行言)はコウ・ゲンと読んで、広、言。
☆羊頭也。(見かけは立派でも中身が伴わないこと)
 知友の導(教え)広言(口に任せて大げさに言うこと)がある。

 楊桃はヨウ・トウと読んで、夭、悼。
 夜なかの道(夜中道)はヤ・チュウ・ドウと読んで、也、宙、導。
 行くといふ(行言)はアン・ゲンと読んで、闇、幻。
☆夭(おさない)悼(死を悼む)也。
 宙(おおぞら)に導かれ、闇(ひそかに)幻(まぼろし)になった。

 楊桃はヨウ・トウと読んで、陽、透。
 夜なかの道(夜中道)はヤ・チュウ・ドウと読んで、也、昼、洞。
 行くといふ(行言)はコウ・ゲンと読んで、光、現。
☆陽(ひの光り)は透ける也。
 昼の洞(ほら穴)は、光で現れる(隠れていたものが現れる)。

 夜なかの道(夜中道)はヤ・チュウ・ドウと読んで、耶、衷、如何。
 行くといふ(行言)はコウ・ゲンと読んで、交、厳。
☆羊頭(みかけ倒し)耶。
 衷(心の中)を如何に交えるか、厳しい。
 


M『炎の帰還』

2022-01-21 06:46:26 | 美術ノート

   『炎の帰還』

 帰還、宇宙(異世界)から現世への帰還ではないか。
 例えば、《亡母があの世から蘇ったとしたら、わたくしは礼装に着替え、バラの花をもって出迎えるに違いない》という妄想。

 わたくしはわたくしそのものではなく、大いなる魂の権化として変装をもいとわない。地上を超える無重力の異世界で薔薇の花(愛)を差し出す僕となろう。

 愛(炎)は時空をすり替える。愛(熱望)は時空を超えて帰還を果たす、ぞくぞくするような戦慄の図である。

 写真は『マグリット』展・図録より


賢治『雨ニモマケズ』3.

2022-01-21 06:19:10 | 宮沢賢治

 味噌ト少シノ野菜ヲタベ
 アラユルコトヲ
 ジブンヲカンジヤウニ入レズ
 ヨクミキキシワカリ
 ソシテワスレズ
 野原ノ松ノ林ノ陰ノ

☆魅(もののけ)は蘇(よみがえり)也。
 済(救い)を需(必要とする)也。
 現れる章(文章)には倫(人の行うべき道)が隠れている。