続・浜田節子の記録

書いておくべきことをひたすら書いていく小さなわたしの記録。

『飯島晴子』(私的解釈)両親の。

2022-01-14 07:25:41 | 飯島晴子

   両親のゐる絵襖の夏の色

 両親のゐる絵(両親居絵)はリョウ・シン・キョ・カイと読んで、両、親、挙、皆。
 襖の夏の色はオウ・カ・ショクと読んで、横、華、燭。
☆両親が挙(事を起こす、企てた)皆(すべて)の横(勝手な振舞い)である華燭(華燭の典/結婚式の美称)。

 両親にゐる絵(両親居絵)はリョウ・シン・キョ・カイと読んで、量、深、挙、諧。
 襖の夏の色はオウ・カ・シキと読んで、応、化、式。
☆量(推しはかると)深(奥ぶかい)。
 挙(すべて)諧(整う、しっくり調和する)応(こたえ)は、化(形、性質を変えて別のものになる)という式(やり方)である。

 両親のゐる絵(両親居絵)はリョウ・シン・キョ・カイと読んで、霊、身、虚、皆。
 襖の夏の色はオウ・カ・ショクと読んで、往、果、式。
☆霊の身(からだ)は虚(中身がない)。
 皆(すべて)往(人が死ぬ)果(結果)の式(きまり)である。


M『絶対の探究』

2022-01-14 06:59:45 | 美術ノート

   『絶対の探究』

 絶対。相対関係を超絶し、唯一・完全・無条件であり、比較・対立を超えたものである。

 絶対に反対はあるだろうか、自然(あるべき景色)を、あるはずのない景色に変換してみる。岩盤にそびえる樹木は一葉の形をした透かし模様であり、よく見ると地中に隠れているはずの樹木の根である。生物の生育条件を根幹から外し、滑稽でさえあるこの景色。
 対する太陽こそが絶対条件と信じて疑わない唯一無二の存在であるが、この樹木に対峙する不条理。

 絶対は絶対ではないのか?
 物理的に有り得ない光景が、精神的光景(心象風景)では容易く現出可能である。
 絶対とは何であったのか。物質界は精神界に物言うことは無い。精神界は物質界を越えられるだろうか。空想・妄想というツールは人間界にしか通用しない。しかし、絶対という観念も人間界で交わされる客観的事実に過ぎないのではないか。

 写真は『マグリット』展・図録より


賢治『春と修羅』8.

2022-01-14 06:34:00 | 宮沢賢治

    すべて二重の風景を
   喪神の森の梢から
  ひらめいてとびたつからす
  (気圏いよいよすみわたり
   ひのきもしんと天に立つころ

☆字を自由にすることを普く計(もくろんでいる)。
 総て真(まこと)を審(つまびらかにする)章である。
 記は双(二つ)を展(広げる)律がある。