続・浜田節子の記録

書いておくべきことをひたすら書いていく小さなわたしの記録。

『飯島晴子』(私的解釈)人の身に。

2022-01-28 07:28:13 | 飯島晴子

   人の身にかつと日当る葛の花

 人の身はジン・ミと読んで、刃、実。
 日当るはジツ・トウと読んで、実、等。
 葛の花はカツ・カと読んで、割、果。
☆刃(はもの)で実をカット、実に等しく割(二つに割れた)果(果物)である。

 人の身はジン・シンと読んで、腎、真。
 日当るはジツ・トウと読んで、日、透。
 葛の花はカツ・カと読んで、活、火。
☆腎(大切)なのは、真(真理)である。
 日(太陽)は透(すかして見える)活(生きた)火である。

 人の身はジン・シンと読んで、訊、審。
 日当るはカ・トウと読んで、果、問う。
 葛の花はクズ・カと読んで、くず、過。
☆訊(問いただし)審(つまびらかにして)問う。
 クズの過(あやまち)がある。

 人の身にはジン・シンと読んで、尽、真。
 日当るはジツ・トウと読んで、実、套。
 葛の花はカツ・カと読んで、括、歌。
☆尽(すべて)真実(本当のこと)を套(おおって)括(まとめた)歌である。


吉川宏志(私的解釈)隠すのは。

2022-01-28 06:46:07 | 吉川宏志

 隠すのは秘めることより苦いかな銀杏の樹皮をぬらしゆく雨

 隠すことと秘めることに差異はあるだろうか。隠すのは秘めることより苦いのではないかという作者の心情である。
 見つからないように悟られないように隠すことは、外からわからないように内部に隠しもつことと同義である。(確かにニュアンスは微妙に違う)
 しかし、作者は言い切っている。《隠すのは秘めることより苦いかな》と。

 銀杏の樹皮を濡らしゆく雨、銀杏の樹皮が主語ではない、雨が主体である。
 雨は例えば、彼女かもしれない。(銀杏の樹皮は作者の比喩か)
 銀杏の樹皮が濡れてゆく様子を改めて見たことがないけれど、濡れても濡れなくても樹皮は樹皮という大雑把な感想が普通であるが、ここは恋情の高まりの時間の経過を言っている。

 しかし、ぬらしゆく雨(彼女)によってわたし(作者)の心は、隠すのは秘めることより苦い(苦しい、辛い)と、判断が朦朧とするほどに彼女への愛が高まるのを隠し切れないでいる、否、秘めている。


M『稲妻』

2022-01-28 06:20:03 | 美術ノート

   『稲妻』

 空中の放電によって生じる光である。
 光りは描けないことの意だろうか。激しい光は対象を一時的に見えなくする。光によって物(対象)が見える訳だけれど、強すぎる光線(反射)は視覚を混沌とさせ、形状への認識を一時的に失わせるものかもしれない。

 たしかにここに活けられた花があったという認識、しかし、強すぎる光がそれを隠したのである。

 対象を感じた時の印象、印象には「見えない印象」もあるということの証明、告発である。

 写真は『マグリット』展・図録より